S氏にしてみれば、決して予想の範疇を逸脱する状況ではなく、どちらかというと「いつものペース」なのだから、と極めて平常心である。
すじ雲が東へ流れ、過ぎるほどの快晴は気持ちの良さを後押しする。すると釣りへの期待感が高まるのは自然なことだ。
少なくとも私は平常心でなんかいられそうもなかった。

通常魚が定位しそうな場所としては、自分が身を隠せる岩や流木などがあり、エサの流れてくる筋であり、なんていうのはわかる。その条件を完璧に満たした全くの正統的な絶好ポイントで、私はこの日の一匹目をバラしてしまった。
なんのことはない、魚はスレッカラシで釣り手はへたっぴぃなのだ。
それにしたっておよそ何週間か前、この川が釣っても釣っても尽きない魚影の濃さであったとは想像しにくい。
極端な形態の巻積雲。明日の雨を予告する。
この日を待ち望んでいたはずのS氏は、予想に反して冷静だった。
彼は重度の花粉症で、スギ・ヒノキの花粉の飛散が落ち着くまでは北部への釣行は絶っている。

釣りに行きたくても行けない事情がある時は、周りの人の釣りの話とかを聞くにつれロッドを振る自分を妄想して、眠れない夜が続いていたのではないかと思っていた。S氏にしてもそういう欲望がアタマをもたげないわけではなかったろうが、イチバン良い時期を過ぎた頃の釣りなのだから、その現実たるやいかに? は、わきまえているようだ。
じっくりと準備をし、タイトラインで一気に勝負をつける。S氏流のスタイル。
南 海上に停滞する梅雨前線が北上南下を繰り返し出す頃、街の毛鉤釣り師たちは何を思うのだろうか?
来るべき梅雨入りを前に、解禁から今までのイチバン良い季節の釣りの満足具合を自分の記憶の中で反芻したりとか、更なる釣果を欲して地図を凝視したりとか。

私の場合、前者はさっぱりだ。後者に該当する私は、この日の釣りとなった。
この辺りの川には疎いS氏を連れ出して意気揚々と入渓して、「いつもこんなモンです」と逆にフォローされる結果となってしまった。
ブルーウィングオリーブ そのままの色調のヒメヒラタ。
そもそも釣りシーズンなんて、解禁から禁漁まで全域全開パワーで突っ走れないのは、釣り手も川の条件も同じだ。
特に川は文字通り「水もの」で、良い時悪い時がそれぞれにあるのは当たり前のこと。とは言え釣り手の心理もある。待ちに待った解禁を迎え、よっしゃとばかりに待ち望んだ週末に車に荷物を積み込んで高速を飛ばす。
よしんばユキシロの増水や初夏の強烈な日差しと渇水に見舞われることがわかっていたとしても、じゃあ行かないのかと言えば、そういう訳にもいかないのだ。
禁漁まではムリとしても、梅雨入り前までくらいは思う存分行きたい時に行きたい川へ行く。そういう意味で、梅雨入りは頃合いのワンクッションになっているのかも知れない。
勢いづくだけ勢いづいて、この日の釣りはさっぱりだった。
こうやって徐々に魚がスレて渋くなっていくのはわかる。出掛けるたびにだんだん弱くなっていく勢いも仕方のないところかも知れない。
ただ今日はちょっと待って欲しい。何匹かアマゴを手にして、まずまず顔のS氏をよそに私は半ばムキになっていた。

「そんなに離れてなくても魚は釣れる」と彼の父親は幼いS氏を連れての釣行でそう言ったそうだ。それを忠実に守っているのか、S氏の釣りは決してポイントを遠くから攻めるのではなく、思い切って近づいている。
それでいて、その背中にピリピリしたハンターの気配的なものが感じられない。
風景に溶け込むとまではいかないまでも、魚に警戒させない程度の訪問者、になっている感じだろうか。
こういう人はなんでもないような所から呆気なく魚を釣り上げてしまうものだ。
釣り人の悲喜交々のキモチもどこ吹く風の、よそ見してて釣れてしまうゴギ大明神様。
「うおーっ」
S氏が声を上げた。釣り師共通の条件反射であるところの、「失敗したら連れを振り向く」の法則を忠実に守っている。
平常心のはずのS氏でもやっぱり失敗した時は悔しいようだ。
急にS氏の背中に殺気のようなものを感じ始めた。父親の言葉など彼のアタマから吹っ飛んでしまっているに違いない。
この期に及んでいつものペースだなんて言ってられなくなったようで、ロッドを振る肩にチカラが入っている。
かく言う私だって解禁からの勢いが弱まったなんて言ってはいられまい。
川筋の緑の歩道を辿る。
次の川へ向かうために・・。