「え〜、マジっすか〜」
エサ釣りの彼はさすがにちょっと困惑気味の顔をしていた。
注意を促し、僕は車に乗り発進した。
子グマと親グマの中間くらいの大きさだった。僕が車でそろそろと近づいても逃げる様子がなかったが、途中で斜面を駆け上がっていった。
そのすぐ先で釣りをしていた人にそのことを教え、僕は目的の川へ急いだ。
なにしろ八月の最後の週末。終わりよければ全て良し、ということだ。
これは!! 今日はツイてるっていうことか?
この日のため、と言ったら大げさだが、ここならイケるという川を温存しておいた。
ここで今年最後の魚を釣る。いい魚が釣れたら早い時間でも帰ってもいい。
川に降りロッドを降る。まだ朝早いから暑さはそうでもない。ちょっと湿気が高いがやっぱり山はすでに秋の入り口まできているみたいだ。
不意に水中で影が走った。開きにヤマメが出ていたのか。
ちょっと大きかった。不用意だったなあ。
なんだろう? なにかいつもと違う気が・・。
ドライフライをテンポよくポイントに落としていく。
魚が追ってくる気配はない。
どうもさっきの走られた魚が気になる。あれがこの日のクライマックスだったんじゃあないだろうか。ヤマ場が最後だなんて、そんな決まりはない。
しかしこの川にはまだまだ気分が盛り上がる好ポイントがたくさんある。
失敗に引きずられないように気持ちを切り替えて次のポイントに臨む。バシュッと出た。合わせでヤマメが飛んできた。
ヤマメ〜。ちっちゃ過ぎます〜。
期待の好ポイントは次々と外れた。全く沈黙している。
温存なんて言ってもそれは自分だけのことで、ほかの釣り人は入っているに違いなかった。
ただ自分が入っていないだけで、そこが釣れるようなそんな気がして、それを信じてみたかった。
でも実際に釣れなければそんなことは言ってられない。僕は次々とポイントにフライを投げ込んでいった。
出なければすぐ次、そしてまた次と攻め上った。
だんだんなにかに急かされるように気持ちが焦ってきた。こんなに気持ちに余裕がないと釣れる魚も釣れなくなってしまいそうだが、ロッドを振る手と歩を進める足がどうにも止まらない。
もはや歩くと言うよりやや小走りというぐらいの速さになってきた。キャストして流れるフライも、まだ流しきらないうちにピックアップし、次へと向かう。
急に背後でザワッと気配がした。
僕はびくっとして振り返った。なにしろ朝アレを見ているからな。
なにもいない。風が吹いただけだろうか。
そしてまた前方に向き直って僕ははっとした。
もう車へ戻ろう。こんな無機質で楽しくない釣りはやっても仕方がない。
最後もこいつで決めたいがなあ。
車へ戻りおにぎりを食べるために少し下流の木陰の離合帯のスペースへ移動した。僕が思っていたその場所には車が停まっていて、釣り師が片づけをしているところだった。
僕が離合帯の端っこに停めるとすぐにその車は発進していった。
笑顔のその釣り師ふたりは良い釣りができたようだ。
僕はおにぎりを食べながら、どうしようかと考えた。もっと別の場所であと少しでも釣りをするか。それともこのまま帰るか。
いやこのまま帰るなんてできっこないが、今し方人が入ったこの場所から入るって言うのもあんまりかなあ。
とはいえ今から別の場所へ移動する気分にはならなかった。僕はここから釣りを再開しようと決めた。
実はこの場所は何年も前にこの日と同じように朝の区間がダメで、移動してここから入って良い釣りをしたということがあったのだ。
この日も、というのは虫のいい話ではあるが。
釣る前から釣れるかどうかわかるようになれば。
いくら期待していても反応がなければすぐにやっぱりかと思ってしまう。
しかしさっきみたいな釣りはしたくない。はやる気持ちを押さえて流れを見ていたらパシュッとライズした。
なんとこの時期にライズか。あまりでくわしたことはないが、魚はいる。
静かに場所を確認してキャストしようとすると、その奥二ヶ所でライズした。
なんだ? どうなってるんだ、ここは。一気に気持ちが昂ぶってきた。
なんだこいつ? 新種のガガンボか?
最初のライズへキャスト。全く出ない。レーンが違うのか?
二度三度流しても出ない。その奥へキャストした。出ない。
と、フライの通過したあとでライズした。
頭がカッとなった。何かにライズしている。少なくとも今結んでいるアントではない。きっと黒いフライじゃ釣れないのだ。
フライボックスを開けた。黒っぽいテレストリアルがずらっと並んでいる。別のボックスで黄色のパラシュートを見つけ結び変えた。
二度流してダメなので先へ進む事にした。
明暗を分けるふたつのフライ。
目の前を黄色の虫がかすめ飛んでいった。
カゲロウだ、こいつがハッチしていたのか。僕の結んだフライにマッチしていそうだ。
さっきの場所のすぐ上流、フラットな流れでまたライズ、また二ヶ所。今度は釣れる。
一投目で出た。が、空振り。その先へキャスト。今度は掛かった。しかしすぐにバレてしまった。
不意に涼風が吹いた。今年はいつもよりもとっくに季節が過ぎていて、カゲロウの釣りに戻っていたのか。
僕はこのまま禁漁を迎える気になれなかった。
おまえもライズしていたのかね〜。