いくつになってもないものねだりってありませんか?
人の本能に根差す「欲」のほっするところのおもむくままに、それはきっと欲深い嫉妬や羨望なんかが具現化した結果のカタチなのかもしれません。
身近なところで言えば、「もっとおっきな魚を釣りたい」とか、あー、まずはそれかなぁ・・。釣りに限らないかも知れないけど、そんな欲求がパワーになってるって。そのために夜な夜な怪しげな(笑)毛ばりを巻いたり、釣り具屋であそこの川がどーのこーのっていう話に耳を傾けたり(そのわりに自分の話はせんちゅーねん!!)。
釣り竿とか車とかパソコンとかカメラとか欲しいものはキリがないですし、そういう物欲の対局に位置するかもしれない「気持ちの良い時間と空間」を味わいに連休になると街を抜け出すのが今回のキャンプとなるわけで。
人は何かをほっすることでしか動けない生き物なのでしょうか? 一見物欲の正反対のカタチのない快適さでさえ求めるままに素直に行き着いているのは、ある意味矛盾からの逃避、されど欲を消せない現(うつつ)。これって天上人の天上人たる所以(ゆえん)ですね。
闇の空間に浮かび上がるテントとタープ。
さあさあキャンプの夜ですよ。炭をおこして肉を焼いてビールもワインも焼酎もあります。あれ〜、これっていつも通りだなぁ(笑)。
でもいつも通りがいいんですよね。特別変わった事をしなくったってこの場所でこの雰囲気。十分いつも通りじゃないでしょう。
飛び入り参加のA氏(真ん中)。嵐のように盛り上がって空の一升瓶を残して去って行った。 日常からすれば子供にとってはかなりテンションの上がるシチュエーションなんでしょうね。
ないものねだりの話に戻りますが、こんな贅沢な時間と空間を過ごせてあとなにが足りないって言うの? なんて言われてしまいそうですね。
きっとずっとこんな時間を過ごしていたらそれはそれで物足りないと言うか、「いつまで癒されとんねん」ちゅー感じですか。つまり街の時間に追われる生活の中ではのんびりとした癒しを求め、いざそういう空間に身を置いて何日かたったら、そろそろ帰ろうか? なんてまたある程度の街の生活の刺激が欲しくなってくる。身勝手っちゃー身勝手ですね。

結局バランスなんでしょう。例え宝くじが当たったって、一生遊んで暮らしたりしたらそれはそれで不幸な気がします。仕事の負荷・気持ちの張り・いろんな楽しみやその抑揚。きちんとバランスよく自分の周りを取り巻いてくれさえすれば。(もちろん実はそれが難しい事なんだけど)
星は降ってくる訳ではないのですがそんな表現をしたくなります。

グライダーを飛ばすY本氏。彼は翼に何を求めたのでしょうか?
一夜明けて、Mossファミリー勢ぞろいの図。ほかでは見た事がありません。
天上界キャンプもあっという間におしまいです。五月にしては珍しく星のきれいな夜でした。
星空をずっと見上げていると首が痛くなります。それでもずっと見てしまうのはなんかそのままだと星の光に吸い込まれそうになるからで、なんかこわいくらい。
星はこれからの季節がもっと期待できます。その時はまた首がいたいくらいに見上げよう。
さあ、そろそろもとの世界へ降りるとしましょうか。
おしまい