其の百三  水辺の近況 「午後のヤマメ達」
禁漁にヤマメの姿を見る機会はあまりなかった。管理釣り場もここ数年はご無沙汰だし、川へ出掛けてもそうそうヤマメに出くわすことはなかった。
ところが今年はどういうわけか、行く先々でヤマメを目にする。
それが来シーズンの釣果に繋がるとイメージするのは勝手だが、世の中そんなにアマイもんじゃない。
それでもまたとないチャンスだから、この際しっかりと普段見られない様子を見させてもらいましょうか。
水面近くに浮く、それはまるで金のヤマメ。
釣りの時は釣ったヤマメをネットですくってそれを写真に撮る。だから泳いでいる姿を見たり撮ったりはないな。
そもそも釣りの時に魚が泳いでいるのを見つけたら、そりゃ呑気に観察なんてしてられないさ。
だからこういう時は余計にじっくり見てみる。最初は双眼鏡で見るのだが、ああ本当にヤマメだ(当たり前か)。ヤマメの顔をしている。
こんなに優雅に泳いでいるヤマメはほとんど見る機会がない。いや、釣る機会もないか。
はっきりとパーマークまでが見える。
それには迷彩の機能もあるのか。
当たり前の話だが、水中のヤマメはその表情が釣った時のネットの中に横たわっているときとは違う。
おだやかと言うかリラックスしていると言うか。釣った時は水から上に上がっているから見え方が違うっていうのもあるだろうが、状況が違うのだから根本的な表情も全くの別物だ。
自由自在に流れを行ったり来たりするヤマメを見ていると、なんとも好きなように生きているなあっていう感じで羨ましい。少なくとも今は釣りざおを持って彼らを狙う人間はいないはずなので、まあごゆるりと御遊泳なさってくださいませ。
ロッドも持たずウェーダーもウェーディングシューズもはかないで川に来ているのだから、当然釣りをする気もない。
しかしペアリングの時期でもあり、大型のヤマメがすぐ目の前でしきりに泳いでいる姿を見ると、シーズン中であれば一気に舞い上がってしまうところだ。
それがこちらも実にリラックスしてその様子を見てしまう。釣りをしている時とオフシーズンに川に出掛けてきた時とで、これだけ見事に切り替えが出来る釣りを趣味に持つ人の心理はなんともフシギだ。
これがまた解禁になると、そんな呑気な考えなぞ吹っ飛んで、目の色を変えてあそこの川どこそこのプールと躍起になるのである。
やっぱりフシギだ。
それは単に漁期を定められているからだけではない、自然界との約束事という感覚が身にしみ込んでいるからかも知れない(人間の一方的な思い込みですが)。
少し紅く色付いた木々。
渓の流れもしっとりとしている。
午後の渓でリラックス中のヤマメをひとしきり眺めていて、この半年サイクルで敵と味方(?)の相反するポジションを繰り返し続ける関係の、その矛盾が心地よい。
ヤマメにしてみれば、怪しげな毛を巻いた針で攻撃してきたかと思えば、すぐに流れに返してくれたり。
いや、しつこいくらいにポーズを決めさせられ写真を撮られまくって、その間は息絶え絶えで我慢を強いられたり。
それが落ち葉の舞う季節には遠慮深げに離れたところからこそこそ覗かれたりと、全く持って理解不能なのが釣り人だろう。
難解なもので、ゴメンナサイ。
落ち葉の沈む川底は、妙に落ち着くそうです。