其の百十 川の始まる町のたもと  
川は源流部から流れ下るのだから、その下流部に集落があれば川はそこへ向かっているわけだ。
などとなんとも当たり前のようなことを言っているのだが、僕ら渓流で釣りをする輩にとってはちょっと受け止め方が違ってくる。その日の目的の川へ向かおうとするならば、大抵の場合下流から上流部へと向かう。
目的の水系に着いたなら、まずはその始まりとして、下流部の集落を通過することになる。
川を生活の中心として町が発達する。
いくつかの通い慣れた川を思い浮かべると、必ずその手前の集落が思い起こされる。
山間部の斜面にへばりつくように点在する集落だったり、農耕の盛んな田畑の充実した山村であったり。渓谷美をアピールしたり温泉を目玉に活性化を計る村もあったり。
そんな入り口を通過して向かう川は、その入り口の集落のカラーの影響を少なからず受けているような気がする。だからその日の釣りの川はどこでも同じような風景の、というのとは違い、その川独特の見え方や雰囲気がその日の釣りの印象として残る。
果たして入り口の集落の印象が、その日の釣りそのものを左右する力を持っているかというと、そこまでではないだろうか。
でも釣り始めのリズムというものは、確かにある。
なにかしらの思い入れがある集落を通過すると、そのフィルターに濾されて川に向かい、その日の釣りがフィルター効果であれやこれやと。
そんな微妙な条件に揺り動かされるのは僕だけかもしれないが、淡々と事務的にロッドを振るよりかはちょっと面白味が違ってくる。
季節の移ろいは市街地よりもより強く感じる。
以前神楽の盛んな集落の上流部へ釣りに入ったことがあった。
まるで隠れ里のようなその村からは、練習の太鼓の音が聞こえていた。
太鼓の音を背中で聞きながら(実際の釣りの場所では聞こえなくなっていたが)ロッドを振る。
そんなイメージは単調な釣りを少しだけ違ったものに感じさせ、その日の釣りが記憶に残るものにするようだ。
釣り師にとっての川の始まる町。また来年も釣行の数だけ、そんな町を訪れる。
(美味しい食べ物屋もあればなおGood!
(^_^))
わずかな平地に収まり切らず、斜面を伝うように家々が並ぶ。