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其の百十九 解禁、そして禁漁 |
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釣りのシーズンにはいくつかの節目がある。その節目が訪れるたびごとに釣りそのものも道具も川も変わっていく。
季節の移ろいとともに渓魚の居場所が変わるから、当然釣り人もそれを追っかけて動いていく訳で、するとなぜだか道具もやり方も、釣りを取り巻く趣ですら変わっていくワケだ。
漫然と半年を過ごすより、いくつか区切りがあることで、その区切りと区切りの間でメリハリが生まれる、そんな半年の方が印象深い。
限られた時間の密度の高まりが、フライフィッシングを続けている本当の目的なのかなと、ふと思った。 |
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戦闘態勢のロッドは道具というより武器だな。 |
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シーズンを通して強く記憶に残るのはやはり解禁一回目の釣行だ。
半年間渓流の流れの中に立つことをしていないから、久しぶりな分印象が深く残る。更に解禁当初は里の開けた川へ向かうことも理由のひとつだ。
開けているから遠くまで見渡せる。夏の山奥の渓とはずいぶんロケーションが異なる。木々には葉は付いておらず、強風にも悩まされたりとかするけれど、解禁当初でしか味わえない釣行の雰囲気がある。
半年振りで体が慣れていないのも新鮮に感じる要素だ。体の動きが妙にギクシャクしてちょっと歩いても息が切れる。いやそれは慣れている、いない、だけじゃなくって、体力的な問題もあるなあ。
こんな時はまだヤマメもなりをひそめているから、大釣りと言う訳にはいかないかもしれないが、それに代わるだけのものは僕の記憶と網膜とデジカメの撮像素子にしっかり焼き付けられている。 |
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解禁からひと月もたたなくても、フライフィッシングとしては一番いい季節になってくる。
桜は咲きカゲロウがわんさか飛び交い、ライズのリングや水飛沫がそこここで見られる。フライもドライとニンフの両刀使いだったのが、そろそろドライ一本で勝負っていう気になる頃だ。
山の木々にも新芽が出てき出す。ファインダーを覗いて見える景色にも少しづつ彩りが加えられてくる。
見る景色が大きく変わってくるのがこの季節だろう。 |
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渓魚の活性と釣り人のテンションは正比例します。 |
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更に季節が進むと、鮮やかな新緑そしてもっと濃い緑に山々は覆われ、そして少しづつ目の前を嫌なブヨが飛び始める。時を同じくして行く手をクモの巣が阻んでいたりもする。毛虫さんも毒々しい色を身にまとい、うごめき始める頃だ。こいつだけはご勘弁願いたい。
釣り場もだんだん入渓者の数に比例してくたびれてきたように感じられてくる。解禁からのスパートもちょっと息切れって感じで・・・、これも体力の問題か?
そして梅雨入りとなる。
梅雨はちょっと一息入れるのにちょうどいいタイミングでやってくる。たまには雨の週末もいいか、って思ったりする。それが何週も続くとうんざりだが、一息入れるとその次に出掛ける釣行の楽しみが増幅される効果があるようだ。 |
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そして、梅雨は開け、シーズン終盤。
一番暑くてキビシイ季節だ。こんな気候で果たしてどこへ行けというのか。それでもいくらか降る雨とそのあとの具合を見て、ここならっていう川へハンドルを切る。
ツライ思いをしたくて出掛けるワケじゃない。きっと天国のような涼風と、この季節まで生き抜いた渓魚を見たくて、一念発起、川へ向かうのだ。
そしてあの、夏の表札代わりでもある、うるさいくらいのセミの鳴き声が、また谷あいに響き始める。 |
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