其の百三十  紅葉街道、ゴギ探し
「中を見てもいいですか?」
「どうぞ。たいしたものはないですけどね」
あ〜、それ、土産物屋の人が言うセリフじゃないね。なんだか力が抜けちゃいました。
あれこれ聞いたところによると、予想通り紅葉はあんまり良くないというのが、地元の人の感触のようだ。
聞いたついでにお店の中をと思ったが、商売っ気ないのね。
土産物屋の横には水量少なめの里川が流れている。僕はその川を辿るように車を発進させた。
ヤマメの川へやってきました。でも目的はゴギです。
今年は解禁直後はすぐには釣りをしなかったので、この川には釣りでは来ていなかった。ここは僕にとっては春先の釣りをする川のイメージがある。
この川は高低差が少なく川沿いに途切れ途切れに集落が点在している。
里川の典型のような川だ。
久しぶりの風景は相変わらずで、所々河川改修の工事が目に付くが、まだ川が壊れるほどではない。

思えば春先の釣りの難しさ。釣れないつらさも釣れる喜びも知っている川。僕はこの川でそれを覚えた。
平らな川は春先の釣りに期待してしまう。
あちこち寄り道をしながら徐々に上流へと移動して行った。
途中、ヤマメのデザインされたプレートの欄干がおしゃれな橋に寄り、車を降りた。
歩いて橋を渡りながら川をのぞくと、やはりかなり水が少ない。今年は秋の長雨があまりなかった。それが如実に現れている。
また歩くと橋の中ほどに何かがあるのに気がついた。僕はそれがすぐに熊の糞だと気がついた。
「う〜、集落の真ん中なのに〜」
でも出るときは出るかぁ。僕は改めてあたりを見回した。

またしばらく車を走らせ、途中のログハウスの立つ所の自動販売機でお茶を買うことにした。
車を降りると、ログハウスのかたわらになんだか見たことのある車が停まっていた。
その車はゆっくり発進するとハウス前の駐車場を出ようとして、運転手が僕に気がついた。
それがW氏であると僕が気付くのと同時だった。
もっと水量豊かなはずなのに、渇水です。
「魚見に行くか?」
いや、そうじゃないでしょ。こんなところで偶然〜とか、どうしたんや〜とかいうやりとりとかないわけ??  ま、いいけど。もちろん行きます。今日はそのために来たんだから。
放流会でW氏が言った、尺ゴギのペアリング。W氏がそれを見た川は僕の春のお気に入りの川だった。
W氏の車のあとを追う。途中の気になるポイントに目もくれず、紅葉の谷あいを走った。W氏の四駆は落ち葉を蹴散らし、舞い上げながら走って行く。
集落のエリアを過ぎ、一気に上流部に達した。僕は尺ゴギの住み家がこんな上の方とは思っていなかったから、きっとひとりだったら見つけられていなかっただろう。
「この山の向こうには木地師の墓があるんじゃ」
むむ、またしても意表を突く話の展開。キジシ? 木地師ね。木を削って品物を作る人のことね。
あとからあれこれ調べたが、この川の上流、その山中には木地師の里があったらしい。第五十五代文徳天皇の皇位継承の争いに敗れた惟喬親王(これたかしんのう)が、失意のうちに近江の山中に幽棲し、その地で木工技術を磨き木地師の祖になったと言われている。
この山中の里の木地師は惟喬親王からの正流木地師と言われている。
疾駆するW氏。向かう山中にはゴギだけでなく
積み重ねられた時間そのものがある。
僕は木地師に造詣が深い訳ではないが、木を使ったぬくもりのある品物は心が癒される感じだ。
山へ出掛ける機会も多く竹竿を使うことからも、W氏のこの山には木地師の墓がある、という話を聞いたらなにとはなしに関心が沸いてきた。

W氏はその墓を見に行ったのだと言う。この山の中には積み重ねられた時間が封じ込められた場所がある。そんなふうに思いを巡らしながらふと川を見ると、護岸のえぐれの下からゆらりとゴギが現れた。
確かにでかい。
上流部のずんどまり。そこにヤツはいた。
途中で見た熊の糞の話をすると、W氏はそれはイノシシではないかと言った。W氏は熊の痕跡にもずいぶんと詳しい。熊棚の場所もたくさん知っている。
気がつくと、ゴギは姿を消していた。すでに産卵は終わっているのか、ほかのゴギは見ることが出来なかった。
僕と別れた後W氏は主陵の峰へ向かった。更なる奥深い山中のその先にゴギの棲む流れを探しに行ったのか。それとも隠された木地師の里を求めてなのかもしれない。
このあたりの森は紅というより黄に染まっていた。