其の百三十三  その川の話
今年は三つの漁協の年券を買った。で、釣りに行った川の八割はひとつの漁協のエリアだった。
もうそこの年券だけでいいんでないの?って感じではあるなあ。
これでもかなり絞り込んできた。フライを初めて最初の頃は、釣ってやろう欲丸出しで、5〜6箇所の年券を買っていた。
それからだんだん買っても一度も行かないエリアが出てきて、三つに絞り込まれた訳だ。
そうなると八割のエリアは僕の釣りのかなりを占める要素になっていることになる。
春先なら秘境のような源流帯よりも、そこに住む人の営みに近い川がいいなあ。
しかし八割と言ってもこの漁協のエリアは広い。
春先から盛夏まで、降りるインターチェンジも一緒なのに異なる季節での釣りが可能だ。
だからおのずとこのあたりに出掛ける回数も多くなる。
ただ、そういう事情は僕だけに限らない。考えることはみんな同じで、結果多くの釣り人を受け入れることになる。
まあそれは限られた川の流れに竿を出す者たちの逃れられない宿命か(大げさσ(^_^;))
川のすぐそばに住むってどんな感じなんだろう?
その広い漁協のエリアの中でも、特に僕が気に入って足を運ぶ水系がある。そのいくつかの支流はひとつの集落のあるところで合流している。
このあたりの集落は元々平家の子孫であったらしい。
大阪夏の陣に敗れた平家の落人が追手から逃れるためにこの地におちてきた。当時のこのあたりは、いくつかの小さな集落はあったろうが、交通手段は人の足しかなく、まさしく陸の孤島だったはずだ。
中国山地を点々としながらようやく落ち着いた地で、彼らは土地の人々の中に溶け込んで行った。
もし落人が現れずもとの村人だけで生活していたら、今のこのあたりの集落もここまで増えることはなく、ひょっとしたら廃村になっていたかもしれない。
人の生活していた痕跡だけが残る土地の川での釣りはなんとなく寂しいものだ。
ロッドを振る川筋はちょっとは人の生活圏から離れていてもいいが、釣り終わって車で川を下ってきたら小さくても集落があればなんだかホッとする。
この川は僕のそんな勝手な好みにぴったりはまった場所であった。
更には近年のブームもあってか、ここの集落には温泉も出来ているのだ。釣り終わってひとっ風呂浴びて。極楽ではないか。
ヤマメはともかく水生昆虫は多そうな川。
釣りはやっぱり魚との対峙がメインイベントには違いない。
でもそれを取り巻くいろいろな事柄が釣りそのものをもり立ててくれることがあるのも間違いない。
きっと今より時代をさかのぼれば、無垢のヤマメが川を泳ぎ回っていたことは想像に難くない。
戦いに敗れてこの地に落ちてきた人達もひょっとしたら、山から竹を切り出しその延べ竿でヤマメを釣ったのかも知れない。
そう思うと川を通る風も流れる水も泳ぐヤマメでさえ、いくつもの時代を経てきたような気がしてくる。
街のたたずまいには川が重要な要素です。