其の百四十九  釣りを記録するということ
釣り道具と写真機材には共通点が多いと、常々思っていた。
獲物が魚か被写体か、それを手にするための道具に竿とカメラ、獲物を獲得するためのものがフライとレンズ。といったふうに。
道具を使って別の形を成すということであれば、ほかにもいろいろある。
筆記用具もそのひとつと言えそうだ。ペンやノートが釣り道具のどれにあたるかはぴったりはまる関係のものがないかもしれないが、こと筆記用具になると釣り道具以上にこだわるところも多々ある。
モレスキンのポケットダイアリーは
仕事で使っています。
ホームページやらブログで釣行記を作ることも、今ではすっかり市民権を得た感じだ。
文章・写真・動画を駆使すればいろんな表現で伝える事が可能になった。写真もデジタルならハードディスクの容量の許す限り保存出来る訳だし、釣りの記録を残すことに関しては極めて容易にできる環境が整った時代になったと言えるかなあ。
そんな中で、「書いて」残す、というのはある意味時代錯誤というかちょっと遅れたアナログ的な手法のような気もしないではない。
しかしフライフィッシングだって、オーソドックスな釣法は最新の技術で固められたというようなものではなく、しっかりアナログなスタイルだから共通点はある。
釣りに行った時に現場で何かを書くかというと、これはその時の状況によりけりか。
頭の中に記憶しても、なかなかわざわざ書いて記録しようとは思わない。
気分の良い釣りが出来れば別だが、そうでない時の方が多いのだから、文字を書く余裕は流石にないなあ。
ただ釣りにまつわることは釣り場だけで起こるのではないから、釣り以外の状況でも書く機会がないとは言い切れない。
ロディアどこへ行く時にでも持っていきます。
それでは釣りのことを書くと言ってもだいたい何を書くか? 
それはなんでも良い訳だが、川での出来事、感じた事、とそういうものになるかなあ。
書いたものがなにになるのか?
ホームページで書く文章の下書き、ネタ帳、そういうことになるがそれだけでもない。書くことはただ頭の中で考える以上により深く考えるためのひとつの手法だと思っている。漫然と考えるよりも書いて考えると整然とした思考になり、もっと掘り下げて考えることができるような気がする。
そして文字を書くという動きがかなり新鮮で刺激的なことのようにも思えるのだ。
今の時代、文字を書くということがすっかり減ってしまい、代わりにパソコンのキーボードや携帯のテンキーを押すことで全てがまかなえつつある。
こんな時代だからこそ原点回帰、紙にペンで文字を書くとそれは新鮮なことであるように感じてしまう。
そうなると、フライをする人間の性癖からして、ただのペンとノートでは気が済まなくなってくるのも道理だ(?)。
モレスキンやロディアの紙質はちょっとほかのとは違う。ペンはラミーの安い万年筆でとりあえず。
モレスキンのレポーターに思いつくままにラミーを走らせると、少しだけ週末ごとに渓へ出掛けていた頃の気持ちの昂ぶりがよみがえってくる。
でもあれだな、やっぱりペリカンのスーベレーンとかが欲しいな。
冬のボーナスで買うかあσ(^_^;)
釣りに行かなくても書く事はあります。