其の百六十二  雪の向こうにあるもの
確か去年の正月も雪の中国山地を走っていた。
なんともうまいタイミングで毎年雪が降る。実家は沿岸部だから降っても積もらず、広島へ戻ると途中からもう晴れている。
だがその通過点の中国山地は積雪のピークで、スタッドレスタイヤと四駆だからなんとか走れるが、そうでない車なら心細いことこのうえない。
それくらいに雪は降っていた。
そして毎度のことながら、この道を通る時はその横に中国山地を駆け降りる川が見えてくる。
年末年始の雪は毎回のこと。雪の峠へ。
雪が積もると当然のことだが見た目の景色が変わる。
それは山の様子や山村の集落の様子もだが、川のそれも違って見えてくる。
雪のない時に見る川は、見慣れているからそれなりに自然に溶け込んだ感じで目に映る。
ところが一度雪化粧をすると、川原に白いカバーが掛かったようになり、水の流れているところが浮き彫りになる。
すると水際の地形や水の流れの細かな具合が良く見えてくるようになる。
本流も川原が白く染まり、水も増えている。
雪の川はその条件の厳しさに反してなんとなく釣れるような気がする。
それは余計なものが雪で隠されて見えなくなっているからかも知れない。
しかしそんな錯覚ではあっても、川の様子は刺激的に目に映ってくるのも確かだ。
危なっかしい雪道の運転を、更に危なっかしくわき見しながらだといつ事故してもおかしくない。
駐車エリアの圧雪に車を入れて、川の様子をじっくりと見てみた。
上流域は寒さも更に険しく見えてくる。
さすがにこんな雪の中の川では、魚たちも居たって身じろぎもせずにじっとしているに違いない。
そこにいるのはカワムツかウグイか。それでもそのひっそりと息づいている様子が雪の川の下に見えるような気がする。
実際こんな厳しい季節でも、魚たちは餌を全く口にしない訳ではないだろう。
解禁の日付などは魚たちには関係のないことだから、3月1日を待たずしてこんな雪の中でもニンフを放り込めば、それをくわえ込む魚の一匹くらいはいても良さそうなものだ。
まあそれはしないにしても、そういう生命感はしっかりと伝わってきた。峠を越えれば正々堂々ニンフを投げれる解禁まで、あと二ヶ月を切っているのだ。
やがて雪は溶け、桜が咲き新緑の季節へと変わっていく。
また川の表情が変わり、流れの中のヤマメの居所さえも分かってきだす。
これがもっと季節が進むとまた川の表情は変わり、もはや雪の頃の面影はなくなる。
川は雪や新緑や熱射の陽射しと、次々に表情を変えながらヤマメを育てていっているのだと、目の前のまだ雪深い流れを見てそんなことを考えた。
春のライズが似合う川は雪景色も似合う。