其の百六十七  少しシルクラインのことなど
フライフィッシングを始めたばかりの頃の話は何度か書いたことがあるけれど、やはりあの最初の鮮烈な印象を越える体験はまだないなあ。
釣り道具から始まり、フライタイイング、そして実釣と次から次へと新感覚の波が押し寄せてきた。
見るもの全てが新鮮だったあの頃も今では遠い過去。すっかり慣れと狡猾さを身に付けた釣り師は、初心の初々しい喜びの気持ちなんて忘れてしまっている。
ただ、もうこの釣りの全てのことを経験したかというと、そうではなかった。
普通のフライラインを使うことになんのためらいも持っていなかった。
どちらかというと低番手のタックルで渓流がメインフィールドの釣りをしているから、その範囲でのフライフィッシィングしかしたことがない。
海のフライもなかなかのめり込み切らず、本流のサツキマスも五年前に一匹釣ったっきりだしなあ。
それじゃあ良く行く渓流のフライならやり尽くしたかというと、それもそうではない。
古くからあるもの、新しいテクノロジーやメソッド。まだまだ裾野は広いのがこの釣りだ。
それがある同時期に二人の人からシルクラインについての話を聞いた。
それは偶然だったかも知れないけれど、僕の中で次の新感覚の波を起こすのに十分足りる内容だった。
ロッドやリールはそれなりに持っているし、バンブーロッドとなるとかなりこだわって使っているところもある。
ただラインにこだわることには目を向けずに何年もこの釣りをやってきた。
僕にとってはフライラインは釣りの主役ではなかった。
まだロッドやリールや自分の巻いたフライそのものが、釣りに対しての武器であり戦略であるという感じで、ラインは標準的な機能でありさえすればよい、と思っていた。
新しいことを始めるのは、新しいものがなくても出来ることなのかも知れない。
シルクラインについてはまだまだ知識はない。その良さも手間のかかることも、ぼんやりとしかわかっていないのだが、それでも話を聞いて一気に気持ちが動いたのは久しぶりのことだ。
これから本当にシルクラインを使うのかどうかまだわからない。しかし、フライフィッシングでヤマメを釣るということや、自分の巻いたフライでヤマメを釣るといったことに、未知の魅力を感じていた頃に似た思いが生じたのは間違いない。
これからもまだまだゆっくりとこの釣りと付き合っていく上で、シルクラインを使った釣りはそんなゆっくりのリズムが似合うような気がした。