その28  禁漁カウントダウン
太平洋高気圧が勢力を伸ばして中国地方は連日の真夏日を記録しています。
やっぱり今年もこんな季節になりましたね。テレビでは盛んに熱中症や日射病に気をつけましょうと言っています。気の利いたニュースキャスターは釣り師にちゃんと川の水位を伝え、話のわかる気象予報士は「渇水注意報」を発令します(ホント?)。
でもこの季節を迎えたと言う事は、禁漁が目前に迫っていると言うことでもあるのです。熱い季節であるはずなのになぜか去っていくものを惜しむような淋しい感情が沸いてくる、そんな矛盾が同居するのもこの釣りをする人が意識する夏のイメージではないですか?
ぽっかり夏雲、蝉も鳴きます。
五月のカゲロウが翔び交う季節と違っていくら山でもやっぱり暑いです。魚達もシブクなっていて、思うような釣果が得られない事もしばしばです。
それでも山へ通うのは一発大物狙いだとか水辺の涼を求めてとか、いろいろあります。私の場合、どうだろう? やっぱり大物が釣りたくて苦手な早起きを敢行してマス。それでもかすりもしないって言う事はなくて結構ニアミスはあるんですよ。
出撃回数最多のM川ロッド。
ただ、それだけじゃぁなくって、暑い季節の釣りは春と違う特別な趣も確かにあります。
解禁から毎週のように川へ出掛け、何匹もの魚を釣り、いくつもの毛ばりをなくし(かなりね)、そして梅雨を経て夏が来る。暑い故にじっとしてられなくなるような、何かに急き立てられるような感覚に揺さぶられて高速に乗る。決して釣果は満足出来る物ばかりじゃないけど、また次の週末の天気が気になるのです。
シーズン終盤のフライトラップ。春から刺しっぱなしの毛ばりもあります。
先にも述べたようにこの季節の釣りは大物狙いや涼を求めてっていう、カゲロウの翔び交う季節とはちょっと目先が変わります。日常からの離脱なんて表現は大袈裟でしょうか。でも物理的な距離の移動は体だけでなく気持ちも遠く離れた所へ動きます。
つらつらと考えてみたのですが、ある程度の距離を移動する、と言う事そのものがなにかしら非日常へのアプローチになっているように思います。「遠くへ来た」っていうただそれだけでも現実に対するささやかな抵抗なのです。
そんなあらがいも未来永劫続ける訳にはいきません。気持ち良く魚と戯れ汗をかいたらまた日常の現実へ戻って行きます。でもたまに川へ出掛ける事が日常を受け入れ続けるための「糧」のひとつになっているように思うのです。
あれっ? 大変です。もうすぐシーズンが終わっちゃうんだよね。別の何かを探さなくちゃならないけど、その前に気持ちいい「余韻」を残せるような釣りをしなくっちゃ。
かけますか、ラストスパート!