その30 フライボックスの中の使わないフライ
さて、禁漁になりばたばたと忙しい日々も過ぎたしちょっとゆっくりして、なんておもわないでもないが、それでもあれよあれよとひと月が過ぎ「なんかするかな?」と思うとまずはタイイングでも。
そう思い立ったらバッグの中にいれっぱなしのフライボックスを思い出し、引っ張り出す。何と言う事もなく眺めると、結構毛ばりは入っている。
「なんだ、巻かなくていいじゃん」
いやそうじゃなくってね。
ホイットレーももうじき十年を数える。
このフライボックス今年開けたっけ? などとまさかの疑念に、ああいやちゃんと持って行って使ったよ、確か。
しかし、この中の毛ばりは使ったか?

これは流石に自信がない。よもや一本も使っていないということはないだろうし、そうでないとなんのために持って行っていたのかわからないではないか。けれどもそれほどこのボックスを取り出した回数が多くないのは記憶に残っている。
それぞれのコンパートメントに棲み着く「虫」がいる。
はたとそのフライボックスを開けてまじまじと毛ばり達を見てみると、結構イイ感じの毛ばりがある。「イイの巻いてるじゃんか」などととんちんかんな感想を述べつつまたはたと考えてみる。なんでこいつを使わなかったんだろうと。
こうやって部屋で見るとしっかり巻けてる毛ばりなんだけど。う〜む、それじゃあ釣り場での毛ばりのセレクトは何を基準にしているんだろう? 私は恥ずかしながらそれほどシビアなマッチザハッチの釣りの経験は稀であり、すると例えば前日に巻いたヤツとかよく見えてよく浮きそうなヤツにどうしても手が伸びる。

だとするとフライボックスにずっと使われずに残っている毛ばりは浮力や視認性に乏しげなパターンかと言えばそうでもない。どっちかと言うと巻いた時期がちょっと前のものが残る場合が多いだろうか?
それは即ち現在の自分に近い自分が巻いた毛ばりが、より現在の自分の釣りにおける使い勝手を反映出来ているっていうことか?
そこまで僅かな時間の隔たりでタイイングが変わりますかね?? とも思うのだし、実際物理的にもそう差はないのかも知れない。
そうなるともうこれは一種の宗教のようなもので、「これがいい」っていう裏付けのない思い込みになってくる。ただここに真理がひとつあって、結んだからには「釣れる」って信じる事は大事だろう。半信半疑じゃ釣れるものも釣れなくなる(ってそれでも釣れなきゃ毛ばりを疑う事もせねばならんがそれは何回か投げてからか)。

そしてなんとかロストをまぬがれた今年の毛ばりもまた徐々に箱の底に沈んで行く。
時は巡りまた昔巻いた毛ばりに手を伸ばす日もきっと来る(?)