その35 冬なのに夏のイワナの話など。
ふとある機会があって、本を読んだ。
湯川 豊さんの「イワナの夏」である。読む速度はかなり意識してブレーキをかけた。思うままに読み進むと一日で読み切ってしまいそうで、それがもったいないと思えたからだ。
いやー、面白かったです。少なくとも私のツボにはぴったりはまりました。それは古き良き日々の、今日では実現しえないような釣りが・・・っていう事ではなくて・・。
タイトルのロゴに新しい古さ(?)がある
まず確かにこの本自体が1987年12月に第1刷が出されていて、収録されているものの初出はそれより更に2〜4年前のものだから、17年くらい前に書かれた話ということになる。
私は渓流の釣りを初めてほぼ10年になるのだが、10年前はどうだったかとか更にさかのぼって17年前は?とか考えなくもない。今とはなにかと状況が違う。
良い面を言うとやはり魚の多さになるだろう。決して当時も極上のパラダイスではなきにしろ今よりは魚は多く釣り人は少なかったはず。自家用車も川沿いの林道も少ないからおのずと入渓そのものも制限される。もっとも当時なら釣った魚をリリースする人の数も少なく、また釣果に対する執念は今以上で、結果持ち帰られる魚の数もかなりのものとも考えられるか?
でも本文を読んでいるとそんな時間のへだたりは感じない。ついこの前自分にもあったような出来事が書き連ねられている。
ただそれが淡々と表現されているのではなく、印象深く余韻が残る。ひょっとすると言葉にしたら実体験とは別のものになることがあるかも知れないが、この本においては書かれていることをそのまま受け入れるだけで、十分心地よい。
それぞれの物語の舞台を想像する。
季節の表現、山や川の様子はもちろんだが、この本で何度か出てくる釣り宿の食事のシーンがまたいい。というよりも読んでいると気持ち良くハラが減ってくる。
シンプルな田舎の料理やただのどんぶり飯を漬物だけで食べる描写にこれほど食欲が刺激されるとは、と思うのだがそれは逆にシンプルな表現ゆえの、とも言える。
時に粋であり、リアルで興奮する魚とのやり取りもあり、幻想的な既視感のようなものを覚えたりもする。舞台は関東以北が多く、距離の遠さがまた想像力をかき立てる。
結局三日で読み切ってしまったのだが間違いなくまた読むだろう。
それは何年か先の事になるかも知れないが、読むたびに今回と同じ強い気持ちが沸いてくるのは確実だ。
なんのことはない、実に簡単な話、自分が釣りをしたくなるっていう事で、本の中の釣り手と自分を置き換えているのだ。
だからオフシーズンに読むには精神衛生上よろしくないかもしれません。
一冊にひとシーズンがパッケージされているような。