其の五十五  釣りの相棒としてのクルマの事
友人のF氏がクルマを買った。
結構デカイ、アメ車である。
「ずっと欲しかったんじゃー」と語る彼の言葉を聞くと確かに全くこのクルマに対しての不安は感じていなさそうだ。

釣りに行くのには・・・、と私はまず思ったのだが、果たしてこのクルマにはその図体の大きさから想像出来る取り回しの不便さを払拭して余りある「モノ」を備えている事が、少しずつわかってきた。
確かに狭い道は(それは街でも山でも同じだが)入る事がためらわれる。しかし・・。
正面に立ちふさがる「壁」のようなフロントマスク。
前回の釣り具屋のイベントの放流会には実はこのF氏のクルマで行った。その時初めて乗った(家族以外は私が初めて乗せてもらった)のだが、流石に車内は快適だった。
図体の割に車内が思ったほど広くないのはボディに厚みがあるからだった。その分何と言うかしっかりクルマに包み込まれているような安心感がある。
思えば私のクルマなど、サイズこそ小さいから狭い道も得意だが確かに薄っぺらい。軽い分路面の凹凸の衝撃もしっかり伝わってくるし、音もなにかしらうるさい。
頼もしいパッケージの中に身を置く感が非常に快適で、結構作りは粗い(流石アメ車)んだけど、個々の部品が集まってかもし出す質の高さが体感出来た。
とは言え物理的に入る事が出来ない道は出てくる。
クルマの事情で狙いの渓を諦めるのか? とか 道中狭いところでの対向車との離合がおっくうで行くのヤメル とか そんなことがあったら乗り心地がどうのと言ってられなくなる。

確かに行き先に制限が出てくる事はあるだろう。でも小回りの効くクルマでないと入れない川がそれほどの桃源郷であるかと言えば、そうとは限らない。
むむ、スピードメーターは・・。
○○Km!!
いろんなケースが考えられるが、何年か釣りを続けているうちにだんだんと上流(源流)指向になることがある。中流域には目もくれず源流に誰よりも早く入渓してその日一番にゴギを釣る・・なんて感じで。
すると中流の集落の中を流れる区間が、ただの通過点にしかならなくなってきたりするのだが、案外そんなところにとんでもない大物が潜んでいたりすることも往々にして
ある。
しかし源流にしか関心がなくなっている釣り師はそんなところには眼もくれず、クルマをぶっとばして通り過ぎてしまうのだ。
結果論だが、離合困難な源流帯に入れないクルマに乗っているからこそ、そんないつのまにか見逃していた絶好の川にまた目を向けることが出来るかも知れない。
結局与えられた条件の中でどう全力を尽くすか? 運が巡ってくるか? なんてことなのかなぁ・・釣りって。
釣りが可能な全てのエリアを自分ひとりで制覇しようなんて所詮ムリな話なのだから、こんな時(こんなクルマに乗っている時)だからこそ、狙える川へ行ってみるって言うのもアリかな。
宿り木の見られる高原で。
(写真提供 F氏)