其の七十二  "傷" の話など。
コレクターアイテムでない限り、フライフィッシングの道具のうち、実釣で使うものは部屋の外の使用がほとんどだ。
外で使うのだし、場所は自然の河川なのだし、足下は滑りやすくバランス感覚と体力は日々衰え(んー・・ちょっとねー、それ、それって 深刻?)
渓流歩きを始めた当初より、今の方がこけなくなった。こける恐怖と痛みを知った分注意し始めたからだ。
当然こければどっか打ったり、下手すりゃケガしたり。それは道具も同じで・・。すると哀しきかな、お気に入りの道具にざっくりと傷が・・。
リールの小傷は次第に角を削り、塗装を削り。
私の所有する道具の中で、傷もぐれの筆頭はやはりリールだ。
買った時は嬉しくて、箱から出して机の上に置いたりする。そして眺める・・・そして眺める(←アホじゃ)。
それが一回釣りに持って行ったら、大事にしなきゃのイトが切れてしまう。
だからと言って不必要に乱暴に扱うという訳ではない。普通に使っているのだが、やはりぶつけたり岩の上にちょっと置いたりで、少しずつ傷が付いていく。やっぱり折角気に入って買ったリールに傷が付いていくのは忍びなかった。
アルミのフライボックス。ベストに入れるこれは、そこまでの傷はまだない。
ある日釣り具屋で委託販売のリールを見た。
使い込まれたそのリールは、しかしひどく深い傷はなかった。それでも使用感は外側の角の部分にはしっかりと現れていた。しかしその小傷に妙に気品のようなものを感じた。丁寧に扱われていたからこその傷の付き方のように見えたのだ。それも長い年月を経ての。
自分の持っているリールにはこんな傷の付き方をしたものはなかった。派手にこけて、体をリールで支えて、アルミがえぐり取られたような深い傷ばかりだった。
釣り雑誌でも傷ついた古いアルミのフライボックスを見た事がある。これもその静かな傷みようを、逆に「かっこいい」と、感動さえした。
明らかなのは、それが一朝一夕でそのようなリールやフライボックスにはならないという事だ。
少しずつ、古木の年輪のように、いくつもの年月を生きた人の皺(しわ)のように、それはまるで釣り人が手にしてからの、その道具の装飾のように少しずつ付いていく傷。
買ったばかりの時は、傷がつくなんて冗談じゃないと思っていたが、今ではそれもまんざらではない。使い込んだ、百戦錬磨の道具の歴史が見えるようで、逆に誇らしくもある。

半年間、出番はないが、次の年にはまた新たな釣り戦記の証となる傷が刻み込まれて、また自己満足の価値が上がる。
ロッドのリングとポケットも、釣った魚の数に比例して、美しく傷つく。