背中の黒点とサイドのパーマークが一瞬の残像として網膜に残る。
ただ、本当に残像で終わってしまった。空振り・・・。見切られた。
この日の魚は手強い。連休を生き延びた奴らときたら、やっぱり一筋縄ではいかないのは、そりゃわかっていたさ。
次のポイントではライズしていた。
ライズはする。しかしフライは素通りする。
ライズはする。しかしフライは無視される。
ええ度胸しとんなー、オマエ。見とれよ。で、また残像だけ見ることになる。
緑の中でミドリと化す。されど魚は・・・。
解禁後のセカンドセクションは、晴れれば暑いし曇れば肌寒い。なんとも融通の利かない気象条件になったもんだ。

釣りは釣れる釣れないに関わらず、釣りそのものだけでなくて、それに付随するいくつかの事が、その日の充実度をより加速する。
眠れない前夜や当日の道中、釣りそのものももちろんだが、ちょっとひと手間加えた昼ご飯とか。
ただそうは言っても、やっぱり釣りは釣れないよりは釣れた方がいいに決まっている。
経過と結果はバランス良く、が基本なのだ。
パーマークの間隔の広いヤマメ。その川が育んでいる事の証拠。
M川氏がロッドをあおった。
この日は連休に引き続いての一緒の釣りだ。五月中旬と言えば少なくともフライフィッシングをする上で、期待せずに家を出る人はまずいないだろう。
私にしてもM川氏にしても例外ではなかった。ひとつ難を言えば、この日が日曜日ということだけだ。

私の方を振り向いたM川氏は笑っていた。釣りをしていて、振り向いて、笑う。つまりそういう事だ。
気を取り直したM川氏は、次のポイントへ向かう。二歩で絶好のポイントが現れる。気の抜けない川だが、それは言いかえれば多くの入渓者を感じさせるものでもある。
解禁からの二ヶ月半の日々もだが、もっと気になるのは昨日どうだったか? だ。
この時点で新しめの足跡は見当たらないが、魚のスレようを見るとどうにも人的プレッシャーを疑わざるを得ない。
青葉がおりなす光のマダラ模様の、その下のM川氏。
最初の川は二時間でパス。
別の水系へと車を走らせる。同時に朝の冷え込みもその痕跡を残していない、強い日差しを思い知りつつ、期待の二本目の川は一時間半で終わった。
まだスレていはいても、魚の気配を感じた最初の川がましだった。二本目は全く魚が出てこず、ようやく出たゴギはサケ科のゴギではなくドジョウ科のそれだった(なんじゃそりゃ)。
まあゴギは夏の季語だから、ちょっとまだ早いか。
昼を回る前に三本目の川へ向かう事になった。
ヤマメ ヴァーサス イタドリ。
・・・・負けたかも。
なんだかこれじゃぁ荷物が増える訳だわ。 それにしてもこの新緑はどうよ。
トサカといい、その堂々とした姿態といい、すぐにヤマセミとわかった。
電線に止まっているのはちょっとナンだが、なんかリズムが変わった気がした。
M川氏が魚券を買いに入った民家では、軒下で取ってきたばかりのイタドリを見せあう地元の方が、私たちを珍しそうに見ていた。
「エサはなんね?」
「毛鉤です」
「毛鉤か。もうそろそろ毛鉤にもいい時期じゃ」
むむ、じいちゃん、なかなか釣りを知ってなさる。
またまたリズムが変わった。いい感じだ。こここそ今日、竿を振るべき川のような気がしてきた。
幾多の釣り針をかわし続けてきた猛者。
風が吹いてきた。
「ヤマメ風だ」とM川氏は言う。
それはスピナーだろうがゴミかすだろうが、水面になにかしらを落としてくれる、そしてヤマメのライズを誘発する風だった。
事実、定位するヤマメの姿は全く見えないのに、明らかにフィーディングレーンと思われる筋で水面がよれた。
とはいえ、やはり日曜日なのだから一筋縄では行くまい。慎重に慎重を期しての私の一投で、ライズは止まってしまった。

M川氏に先行を替わる。
ふとあたりを見渡すと、それはきっとフィルムにもCCDにもそのままを記録することなど出来そうもないほどの新緑で埋め尽くされていた。
M川氏は気付いていたのだろうか。気付かない私に余裕がなかっただけだろうか。
M川氏が笑って振り向いた。
どうやらまた残像だけを見せられたようだ。
そして、次なるポイントへ次なる一投。