そもそもインターネットでアメダスだの道路交通情報だの、下手に多角的な情報を手にするもんだから、その情報に踊らされてしまう。結局天気予報は外れ、快晴・無風の支流に立ったのは、解禁後最初の日曜日の11時(!?)。
ほとんどの目ぼしいポイントの近くには釣り師のものとすぐにわかる車が停まっている。
それほど長い流程ではないこの支流に、かなりの釣り師が入っている。だいたい最初の日曜日だなんて、釣りにならない。でも来ない訳にはいかない。
あれこれ想像したりもしたけれど、呆気なくまたここに立った。
目指す小屋の脇に車はなかった。
(この支流に来てここを飛ばすのか)、いや飛ばしてくれてありがとう。おかげでなんとか釣りが始められる。
しかし、ここでちょっと欲が出た。小屋よりもいくらか下流から始めたかったのだ。もう少し下流側に車を停めておけばこの小屋の所から入りはすまい。

釣り師の車が何台も行き来している。場所替えをしているのだろうか。身支度を整えると、もこもこだった。着過ぎだ。暑い。一枚脱いで川へ。
半年ぶりだがもっと時間が空いていたような、逆についこの間まで竿を振っていたような、くすぐったい感覚がまとわり付いてきた。
竹竿を使う時、お茶は『伊右衛門」でなければならない。
晴れてはいるが風は冷たい。フライラインも冷えて固いような気がする。
辺りに雪は残っていないが、この好天で雪代が入っているのか水量は若干多い。そして冷たい。当然虫も飛ばず、ライズなんてある訳ない・・あった。
ベタベタな浅いプールでピシャッ。しかも二ヶ所。放流魚が固まっているようだ。まずはアダムスパラシュートを一投。すかさずアタックしてきたがすぐに外れた。魚が水面の捕食に慣れていない。すぐにフェザントテイルに替えた。やはりインジケーターは一投目で引き込まれ、今度は幼いヤマメを手に出来た。同じ場所で三匹釣って、上流へ進んだ。流れの緩いたまりではこんな感じで必ず反応があった。ただどれも計ったように同じサイズだ。
いくらかポイントを過ぎると、流石に体が暖まってきた。というか暑い。足もダルイ。空気は乾燥していて、ノドも痛くなってきた。指もカサカサでフロータントのキャップが開けられない。
河原に座り込んで休んでいると、中型の鳥が二匹川筋を滑空して来た。すごいスピードで私のすぐ横をかすめ飛んで行く。
不意に土手から人が顔を覗かせた。二人のフライマンだ。彼らはすぐに退散した。
私も鳥もほかのたくさんの釣り師達も緩い流れに固まっているヤマメでさえ、お互いの事はお構いなしで、自分の事に一生懸命っていう感じだなぁ。
禁漁の間でも川の流れはお休みしていた訳ではない。
様々な思惑渦巻く川で、
素知らぬ顔のヤマメ様。
雪がまだ降る季節のこんな晴天はなにか違和感さえ感じる。
それにしても体力の低下が著しい。
毎年のことだが初日の川歩きのきついこと。こんなんじゃ来年・再来年はどうなるんだろう?
ふと見ると土手に車があるのに気がついた。なんとそこは今日の目的の小屋のところだった。
記憶が混乱した。自分自身、小屋の地点はとうに通り過ぎたと思い込んでいた。同じような小屋がもう一つあったのか? 
土手に上がり、車の様子を見る前に、その向こうの町道に停まる自分の車が目に停まった。
春の陽射しは体が慣れていない分こたえる。
実に短い距離をバカみたいに時間をかけて釣り上がっていた。ホンの数百メートルしか歩いていない。なんか春先のマジックに騙されたような気もする。
目の前のユルイ溜まりにまたライズリングが広がったが、私は竿をたたんだ。
頃合いなのか、次々と釣り師の車が支流を下って行く。声をかけてきた車には両手で「×」をして見せた。賑やかだった支流が急にヒッソリしてきた。
「こんにちは」と道筋の民家の子供があいさつしてきた。私はノドを痛めて声が出ず、大げさなくらいに深くお辞儀した。
ハイ、お疲れさん。