日本海にある前線が昼には雨を降らす。西の空に制限時間を知らせる雲が現れつつある。
まだ薄日の射す渓にやたらと目立つ黒っぽいカディスたち。僕は迷わずアダムスパラシュートを結び、ゆっくりと七ヶ月振りのキャスティングを始めた。

風はなく気温も暑くも寒くもない。中流域の里川は水位も申し分なく、解禁からひと月が過ぎた渓の釣り人のプレッシャーはいかなるものか。
まだ青い土筆。山の春は序盤戦。
ヌルリと魚体を現わせて魚が出た。ロッドをあおるが空振り。キャスト、ヌルリ、空振り。同じ事をなんども繰り返す。
どうも魚は水面に目は向いているようだが、捕食が慣れていないのか? それとも解禁後ひと月で早速スレてしまいましたかね。
フライをニンフに変えてみる。今度は全く興味を示してこない。岸辺のカディス以外には虫達のハッチは見られない。
こんな時はどんなフライで釣ればいいんだ?
開けた川は竿は振りやすいが、ポイントは攻めづらい。
ドラグがかかって沈んだドライフライに魚が掛かったがすぐに外れた。
もう水面がいいのか水中がいいのかわからなくなった。それともフライのサイズか、ティペットの太さか。まだ釣り勘がもどっていないぼやけた頭では、川の状況や魚の動きをあれこれ考えることは出来そうもなかった。
突然それまでのおだやかな天気がなんだったのか?、というような強風が吹き始めた。
回らない頭に強風が追い討ちをかけ、疲労の色が濃くなってくる。強風で水面は波立ち、そんな中でも魚はドライフライを追ってライズし、僕はまた空振りを繰り返す。
この日の川は上流が東側で、僕も東に向かって釣り上がっている。
前線は西から東に向かって移動しているはずだ。雲も東に流れている。
とすれば追い風になってもよさそうなものだが、常時向かい風なのはなんでだ?

思うようにフライは飛ばず、こんなにも魚影が濃いのに魚は掛からず、あたりを見渡すとまだ葉のついていない木々の色のなさに、気持ちまでもが沈んでくる。
これはマズイ。なんとかせねば。
黒いカディスの正体はナガレトビケラの仲間。
さすがに魚の反応はいい。アダムスを手放せない理由だ。 カディスを意識してパートリッジをダウンウィングにしたパターンも使ってみた。
強い流れの向こう側の岸よりに緩い好ポイントがある。渡るのは無理そうだからこちら側から流れをまたいでキャストする。
メンディングも一瞬しか効かず、フライをポイントに留めておくことが出来ない。
何度か投げ込むとようやくフライをポイントに止めておけることが出来た。するとポコンと魚が飛び出し僕はロッドをあおった。でも出し過ぎたラインがちょろっと動いただけで、全くフッキングになっていない。
魚は二度三度ジャンプして流れに消えた。

強風がフェーン現象を起こしているのか、徐々に気温が上がってきて、暑さにもやられてバテてきた。体が慣れていないのだ。
朝方、僕が車で釣り支度をしている時に通り過ぎた釣り師らしき軽自動車が、岸辺の向こうの国道を行ったり来たりしている。
思い切って場所がえをしたほうがいいんだろうか。
強風の中、小岩を巻く。
風にあおられてこわいこわい。
厚い雲におおわれ陽射しはなくなったが、雨の降る気配もなかった。ただ前線が連れてきた強風となまった体と頭は、すでに制限時間の警告音を鳴らしている。
橋のかかっている所まできた。引き返すならここか、と思いながらキャストすると、橋の上から餌釣りの人がふたり僕を見ている。さっきの軽自動車の人たちか。これはなんとなく上がりづらい雰囲気だ。どうするか。
気がつくとまたドライフライが沈んでいた。
マエカワネットで初キャッチ。ちっちゃいけど。
この日唯一ハリ掛かりした時と同じ状況ではないか。水中のフライをなんとか目で追う。
するとそのフライに猛スピードで接近離脱を繰り返す影が見えた。
フライをくわえるまでにはいかない。ただ近づいて離れるだけ。
また向かい風が強く吹き、ラインが引きずられる。そして水中のフライにドラグがかかった瞬間、その影はあっさりフライをくわえた。
僕の見栄もフライのセオリーも強風に吹き飛ばされてしまった。
橋を過ぎた。この先、山女魚はいるし、
強風も僕の混乱も続く。