すーっと白く視界がくもった。
半年経ってようやくわかったことだが、この偏光グラスはレンズと顔が密着し過ぎるようだ。
だから簡単にくもってしまう。去年まで使っていたやつはもう少し隙間があったような気がする。
で、この日の朝も久しぶりにまたグラスがくもった。そして蒸し暑さも戻ってきていた。
なんだよ、盆明けから一気に秋めいてきて、快適な気温で釣りができていたのに、また夏に逆戻りか。
さわやかな風にあたりにきたのになあ。
のんびり歩きたくなる山村のひととき。
ミンミンゼミがすぐ横で鳴く。
うっすらくもっているのにじめっとしていて、不快指数はかなり高い。
この辺りは標高はそこそこ高いはずだが、高原の秋風・・・なんてそれはどこ吹く風って感じだ。
チュッとフライに水しぶきが上がり、先月ふ化したばかりのようなアマゴが釣れた。
一応これでボウズはないが、ただないというだけでずいぶんと貧果だ。
川の横の少し離れた所には林道が通っている。車やバイクが結構ひっきりなしに通り過ぎる音がする。
ふっと目の前を横切る虫が見えた。
やっぱり真夏の川とはちょっと違う。
カディスだった。ヒゲナガっぽいがひとまわり小さい。
ヒゲナガは初夏の羽化を過ぎると一時期羽化しなくなるが、真夏の暑さが一段落するとまた羽化が始まる。
カゲロウもしばらくは飛んでいる姿は見なかったが、今朝はちらほらと目に付く。
あれほど真夏には苦戦したクモの巣はほとんど見られない。クモも夏の暑さがちょっとでもやわらぐ気配を感じたら活発に巣を張らないのだろうか?
しかしそれでは餌を捕れまいに。
まあ、虫たちの心配をしてる場合じゃないな。
ヒゲナガにしてはちょっと小型。
秋口の第2羽化期を迎えた頃。
水位はどうにかこうにか平水ちょっと増といったところだ。
なんどか良さそうな魚体がひるがえったがフッキングしなかった。
そしてあきらかに体がバテてきている。暑さが堪えているようだ。汗も病気のように次から次へと出てくる。
一度涼しさを味わってしまうと、また元に戻るなんてできないなあ。暑さと対峙する緊張の糸はとっくに切れて跡形もないのだ。

ドドドッと爆音がとどろいた。
また林道をバイクが走っているようだが、なかなか音が止まない。どうやらかなりの数のツーリングの集団らしい。
この川はそう、今年は五月連休に来て以来だった。それ以降はもっと山奥深い谷へと入っていたから、よっぽどのことがない限り人の気配はほぼ皆無だった。
それと比べるとこの川はかなり人里に近いところを流れている。にぎやかなのは致し方ないところか。
ちょっと緊張感が途切れたような、この頃の川にはそんな雰囲気がある。
この川は僕の家からちょうど一時間で着く。高速も県道もそんなに飛ばさなくてもそれくらいだ。
一時間でアマゴの釣れる川に行けるというのはなんとも恵まれた環境だとは思う。山に住んでいるのならもっと早く着けるだろうが、沿岸の都市部に住んでいるのだから、やなり贅沢な環境だ。
先週までのようにもっと奥深い渓へ行ってもよかったのだが、そういう険しい釣行先に挑むのにちょっと疲れた感じかなあ。
さっと車で行けて、すぐに川に降りれて、それでアマゴを釣る。急にそんなガチガチに気合いを入れずにすむ釣りがしたくなったのだ。
ただそういう場所は釣りに苦戦するのも容易に想像がついていた。
出合い頭の大物を、と思わないでもないが、この川でそれはちょっと無理だったか。
いくつか本命ポイントがあったが、期待の大物は出てこなかった。
近場の行きやすさと釣果とを求めるのは虫が言い話ではあるなあ。
小さくてもいいからせめて元気のいいアマゴを何匹か釣りたかった。
またしばらく歩いて、この川の本命ポイントの最後の場所に着いた。
せめてもう少しハラハラするような引きをみせてくれるアマゴが出てこないか。ここが最後のヤマ場だなと思った。
何匹か釣れたアマゴもお疲れ気味。
どうもいたわりが必要な感じですな。
イメージとしては釣り人に踏みまくられた渓という感じ(^_^; 川の横の道は林道と言っても舗装二車線の立派なもの。
一投目、チビアマゴが出た。
ポイントに戻って荒らされないようネットに入れて沈めておく。
二投目、またチビアマゴ。これもネットへ。
三投目、出たが空振り。これもかなり小さかった。
四投目、沈黙。少し落ち着くためにフライとティペットをチェック。
五投目、一番良い所へ落ちた。遅いか。一投目でここへ落とさなければ話にならなかったな。
ネットには小さな二匹のアマゴが残っていた。
小さいけど期待どおりの元気はありました。
調子の狂う暑さの戻りで、またしっかりと汗をかいた。
行く夏を惜しむセミの合唱が渓に響いている。
僕は川沿いの林道を歩いて車へ向かった。遡行も釣果も軽めだったから暑さでちょっとバテたが、まだまだイケるかなあ。
でもこの近隣のほかの川も状況は似たり寄ったりかも知れない。
チビアマゴ数匹の釣果は満足できるものではないが、家から一時間の川でゆったりとロッドを振れたことに、自分が思ったよりも納得しているようだと、僕は気が付いた。
足取りが軽い。こういう釣りも悪くない。