フロータントのチューブを押した時、暑くなってきたなーっと実感した。
まだ空は雲が多めで太陽は隠れている。それでも川へ降りるまでにじんわりと汗ばんできた。
昨夜はなんだか蒸し暑くてうまく寝れなかった。睡眠不足で川に立つと体が重い。
先週の増水はすっかり引いていると思ったが、まだこの川はちょっと水は多めのようだった。
僕はすっかり柔らかくなったゲル状のフロータントをブニュっと押し出してフライに塗った。
オオマダラカゲロウの昇天。そういや飛ぶ姿はあまり見ないなあ。
悪いポイントではないのにフライに出てくる魚は居なかった。
少しづつ雲が消えてきて日が射してくるようになってきた。
こうなるとだんだん暑くなってくる。寝不足は足にくる。重たい流れでよろけながらキャスト。
釣れないのはまだ境界線に来ていないからというよりも、僕の集中力がダメだからじゃないのか。

それにしても暑い。ついこの前まで季節が逆行して冬に戻ったとかそんな感じだったのに、なんとも呆気なく季節が変わったもんだ。
平たい流れの続くこの川は、ちょっとしたミステリーをはらんでいた。
しばらくは反応が良くないと言うか、どちらかと言うと釣れない川なのだが、ある場所を境に急に釣れ始める。
その経験をしたのはもう四年くらい前になる。果たしてこの日も同じことが起こるのだろうか。
その境界線から入渓すればいいのだが、そこへは直接川に降りれないので、その下流側から入った。
僕の不確かな記憶だと、ここから入ると釣れ出す境界線まではかなりの距離がありそうだった。
日の当たるフラットな流れは釣れる気がしない。
サイズがもうちょっとというところだが、たまにまあまあサイズも釣れるのでそいつは写真を撮る。
かがみこんで撮っているとスッと影が走った。
空を見るとまたトビがいる。僕が釣れ始めたからやってきたのか。
よく見てやがる。
なんだかトビが気になるのでちょっと手を休めてじっとしていた。するとトビもいつの間にかどこかへ行ってしまった。
しめしめとすぐに次のポイントへ向かった。白泡の立つ二つの流れの合流する所。
ここはいくらか流しても反応はなかった。
もわっとする空気。季節の移ろいもなんだか荒い。
僕はしきりに左右の風景が気になり出した。
境界線がそろそろのはずだった。ここからだ、というはっきりとした目印のようなものはない。
なんとなくこのあたりかというぼんやりした記憶だけだ。強いて言うなら釣れ始めたらそこがその場所ということになる。

木陰の川原に座って少し休憩をとる事にした。やはり寝不足のしわ寄せがきているな。
風が吹くとなんとも気持ちがいい。僕は目を閉じ、そのままいつの間にか眠ってしまった。
なんとか生きのびたオオマダラ。これから子孫を残せるのか?
ピシャっと出方でその小ささがわかるヤマメが釣れた。延々歩いてこの日最初の反応だった。よもやこの後釣れないなんてことはないだろうが、念のため小さくても写真を撮ることにした。
デジカメを構えているとふっと日陰になりすぐまた日が照ってきた。ちょっと経つとまた影になった。すぐ日が照る。
なんだ? と空を見るとトビが飛んでいた。トビの影だったのか。ヤマメに目を戻すともう居なかった。まあいいか。

そういえば以前M川氏とトビの話をしたことがあった。釣り人の上空を飛ぶトビはあきらかに釣った魚を狙っているというのだ。さらにM川氏はリリースしたヤマメを目の前でトビに獲られたことがあるという。
もう一度トビを見てみると、僕の真上をゆっくりと円を描いて飛んでいる。トビはほとんど羽ばたかない。気流を利用して優雅に飛んでいる。気持ちよさそうだなあ。
この日、この辺りは最高気温27度を記録した。
そのポイントの上流へ回り込んで上から逆引きでフライを踊らせてみた。
しつこくやっているとガバッとでかいのがかぶさってきた。あっと思ったが唇に当たった感触を残してそのヤマメは消えた。
くそ〜っと思って空をあおぐと、ぐわっとトビが僕の近くに急降下してまた飛び去った。
いつの間に。ヤツは僕がかけ損なったヤマメを見つけて降りてきたのだ。
そしてそのポイントを境にぱったり釣れなくなった。釣れ始めるだけでなく、また釣れなくなる境界線もあったことを忘れていた。
トビも僕の上空を飛ばなくなった。
同じ川でも好まれる場所とそうでない場所があるようだ。
気が付くと真上にいる。油断できないなー。
藤の花の咲く頃。良い時期のはずなんだけどなあ。
どれくらい眠っていたのだろうか。30分も40分も眠っていたような気もするが、実際には1,2分くらいのものかもしれない。
それでもずいぶんすっきりした。気持ち体も軽くなった気がする。
そして僕は目の前の流れを見て、ここが境界線だと直感した。なぜそう思うのかはわからない。そう思うからそうなのだ。
ここまで一匹しか出なかったヤマメもここから先にはいる。少し眠って気持ちがすっきりしたから前向きに考えられるようになったとも思えるが、それはフライを投げてみればわかる。
今までの区間よりも多少石の点在が目立つようになっている。水面が波立つ瀬が多い。増水のせいもあってその瀬も少なからず暴れている。その波立つ瀬の真ん中へパラシュートを放り込んだ。波と波の間にヌッと魚体が現れた。

こんな荒れた瀬で出るのだろうか? と思うような場所で次々と出た。フッキングに成功するのはせいぜい半分だが、失敗してもその次があると思うと気にしてられない。
なにがあって急に釣れ出すのか、全くもって不思議だが、釣れるのだからまずは釣らないと。