最近になって当てにならないものをふたつ見つけた。
ひとつは僕の記憶力だ。
釣りに出掛けるたびに川の流れの風景を勘違いしている。その先にあるはずの場所がなかったり、別の川だと思っていたポイントが現れたり。
以前はこんな勘違いなんてなかったと思うんだけどなあ。釣りをし続けて蓄積されてきた川の記憶の階層に、だんだん歪みが起きてきているんだろうか?
もうひとつは天気予報だ。
二転三転したこの週末の天気。最終的に金曜日の天気予報では土曜日は晴れになるはずだった。
現に川に着いた時には晴れ間が見えていた。
それが目的の場所で釣り支度を始めた頃にはだんだん雲行きが怪しくなってきた。
今日あたり防寒用のカッパはもう着なくていいかと思っていたが、それどころか薄いフリースを着足したくらいだ。

山村の社の一本桜も咲いて、大漁祈願を済ませ、よしこれからと思ったが寒さだけでなく風も吹き荒れてきた。
しかし来たからには釣りをしなければ。
僕は最初の釣り場へと土手を降りていった。
今年も咲きました。そしてやってきました〜。
寒の戻り、花冷え、今日の天気がその類いであることは間違いない。
この川筋の集落にある桜は咲いてはいたが、一旦咲いたら引っ込めるという訳にもいかず、桜並木も寒々としていた。
それでも時間が経てば少しは天候も回復するのではないかという期待も持っていた。

だが僕はなんだか自分でも手がつけられないくらいに荒れ始めていた。
焦ってキャストしてラインが水面を叩き、木の枝にフライを引っ掛け、良さそうなポイントも流さず足を踏み入れてしまっていた。
ティペットが絡まった。イライラしながらほどこうとして諦めた。少し休もうと思った。
なんだろう、なぜこんなに焦って苛つくのか。天気が悪いからか、魚が釣れないからか。そんなことでペースを崩しても仕方がない。いつものことなのに。
気持ちが高揚しないのはやはり天気のせいか。ますますあたりは薄暗く寒くなってきているように感じる。
風は少し収まってきているみたいだが、かといってハッチが始まる様子もない。
思い切って場所変えをすることにした。この川は流程が長い。もっと上流へ行ってもさほど川は狭くならないはずだ。
途中桜の咲く集落に寄った。このあたりならなんとなく良さそうな気がした。僕はその直感を信じることにした。
川へ降りると集落から飛んできたのか、桜の花びらが川面を漂っていた。その花びらをよけるようにフライを落とすとスッと魚が水面をかすめた。
合わすとググッと引いたがすぐにバレてしまった。いや、なんとか魚の気配は感じられた。場所を変えて正解か。
季節の逆戻りの影響を受けていたのはヤマメや水生昆虫だけではなかった。
僕自身がその寒さに心身ともに縮こまってしまっていた。
萎縮した体ではキャスティングもままならず、ドリフトも雑なものになる。
先週一度春らしい日を体験しただけにこの寒さは倍堪えたようだ。

少し体もほぐれて心なしか魚たちもうわずってきているように感じた。
ただそれでも急に釣れだすことはなく、また車に戻り場所変えをすることにした。
細かい雨が降ってきた。あたりも薄暗く寒々しい。
風も前から吹いたと思ったら後ろから吹いてきたりした。
そのたびにキャストしても押し戻されたりラインが絡んだりで、なかなか釣りのリズムに乗れない。当然虫も飛んでいない。ライズも探すだけ無駄という雰囲気だった。
水はというとそんなには冷たくはなかった。むしろちょっとぬるいくらいか。
ただ最近はあまり雨が降っていないから水位は低めだった。
魚の反応のなさというより、状況の悪さに僕はだんだん焦りを感じ始めていた。
場所を変える途中、山里もひっそり静まり返って。
透明さ故の魚が居ないことの確認しやすさは、この支流を無機質なものに感じさせた。
魚のいない水が流れるだけの場所でフライを流していることの手応えの無さも寒さ以上に堪える。

ただ川原のそこここにはクロタニガワカゲロウが止まっている。
ハッチはあるようだ。
しかし魚の気配が感じられない以上、丹念にフライを流す集中力も続かない。
流れに落としたフライを視界の隅に残しながら更に先を見ていたら、水底からユラッと現れる魚体が、これも水の透明さ故にはっきりと見えた。
これから徐々にお太りになっていくのですね。
もやが山を隠している。水はそんなに冷たくはないんだけど。
少しずつ新緑の気配も見え始めた。
ほとんど無色に近い透明度。
クロタニガワカゲロウのスピナーが現れ始めた。
場所を変えて気分も変わったのか幾分気持ちも平常心に戻ってきていた。
しばらく釣り上がったが2、3回反応はあった。

ここへ入る前におにぎりも食べていたので、それも功を奏したようだった。
おにぎりを食べながら、こんな日は温かいものが食べたかったなと思った。
気が付くとカゲロウやカワゲラがちらほらと飛び出していた。うっすら陽射しも出てきた。
僕は気分だけでなく体も上向きになっていくのを感じた。
そうか、そういう事だったのか。
桜が咲くと、どこかに迷い込んでしまいそうな気がする。
この日三つ目の場所は小さな支流にした。何年か前、ひどい泥の堆積で釣り人が入らなかったせいか、いたるところで釣れたことのある支流だった。
ただ川の規模と同様釣れる魚も小さかったが、こんな日はそういう所でないと釣りにならない気がした。
当てにならない僕の記憶の中にあって、その支流の項目だけは間違わずに保存されていた。しかし一点だけ前回来た時と大きく異なるところがあった。
およそ前回の時と同じ川とは思えない水の透き通り具合だった。もはや無色に近い。川底に泥の堆積も見られない。
川の機能の再生の力は頼もしい限りだが、これほどまでとは思わなかった。
大抵の溜まりではそこに魚が居るかどうか、フライを投げる前からほぼわかるようだった。こんなにも透明だとティペットもフライの出来の悪さも丸見えだ。
いや、それ以前に泥が魚を釣り人から守っていたのがこの支流だったのに、その泥がないことでどうなったか、簡単に想像がついた。そして釣り始めてすぐにその想像が当たっていることもわかった。