枝が折れてしまっていると聞いていた。
毎年タイミングが合えばすぐ近くまで行ってその花の咲き乱れる様子を見ていた枝垂れ桜。
確かに手前の枝が折れていた。
これは今年の大雪の影響だったのだろうか。
それでもほかの枝は今年も見事に花を咲かせている。
見渡すとまわりの山にも山桜や新緑など、色の競演がにぎやかだ。

遅い遅いと言われ続けていた今年の春も、ようやくこんな山里にもやってきていた。
そしてそれは当然川の流れの中にも・・、とそう思っていた。
山里は桜はまだまだこれから。
ピシャッと実にきびしい出方でヤマメが反応してきた。ドライで出るには出るが、フッキングしそうもない出方だ。
ゆるい流れには何匹か固まって潜んでいるようで、合わせ損なってもまた次が出る。

なかなか一匹を手に出来ないまま釣り上がると、中くらいのプールで視界の隅に何か白く映った。
(ライズ、じゃないか。虫も飛んでないのにね)
プールは流れが複雑だ。上から下へ流れるだけではない。巻き返しで逆に上流へも流れている。
フライは下流へ、ラインは上流へ流れたら、そりゃあ釣れんわ。
巻き返しで上流に向かう流れの筋にうまいことフライもラインも落ちた。
そのままラインを繰り出していると、フライのすぐ横でライズ、やっぱりか。
まだまだ、そのままフライを送り込む。するとピシャッと出た。よし、ライズ取った。でもすぐにチビだとわかった。

チビのくせに一丁前にライズするんだね。なににしていたのか? 
いくらユキシロの冷たい水でもやはりちょっとずつ変化してきているのだと感じた。
この日予定していた川はゆったりとした川ではあるが、その源はこの冬に2mの積雪を記録している。
流れに手を浸けてみて、やっぱりな、と思った。
冷蔵庫でキンキンに冷やしたミネラルウォーターのような冷たさだった。
目の前にまだ雪を残す山々が見えている訳ではないが、見ているような気がしてくる。
(いったいいつまでこのユキシロを送り込んでくるんだ?)
朝のうちの厚い雲は徐々に流れていったが、太陽は出たり隠れたり、風も吹いたり止んだりを繰り返していた。
推定12cm。これから彼らの怒濤のアタックが始まる。
僕はかがみ込んで身構えた。少し後ずさりし、ひとつ細いティペットをひとひろ継ぎ足した。
時間が経ってようやく冷静になった。(で、でかい)
黒い半沈みのパラシュートをそのまま結び、一番良いところにキャスト。ぽっかり浮いた。
またバサッと出た。今度は掛かった。ロッドにズシッとくる。
っと、外れた!
水中でヤマメがぐねぐねうねっているのが見える。
(やっぱいるんだー。さっきまでのちびたちとは違うな。大きいヤツは出方も違う)
また時間が経ち、頭が冷静さを取り戻した。
・・・ば、ばれたー(←遅っ)
ヤマメ域のヤマメ。当たり前のことがうれしいのです。
風が強い。雲が流される。フライも飛ばされるー。
風が止むのをひたすら待つ。釣り人は流れと風を読む。
また小振りのプールが現れた。
上流へ向かう流れと下流へ向かう流れの中間にフライを落とすと、すぐに出た。
小さいが一匹は一匹。同じ場所へキャスト。また出た。また同サイズ。そしてまた。
こりゃあ今日は数釣りモードか。とこれはこれで満足しつつ更に先へと進む。
また出る。渋い出方。小さいくせになんでこんなにシビアなんだ?
それともやっぱり流し方が悪いのだろうか。
ドラグはかかっていないように見えても、水中から見るとそうではないのかもしれない。
ベニヤマザクラの川を歩いた。
さっきより下流だけに大場所が多く水量も多い。
ということはヤマメのサイズもそれに比例するのではないか、という目論みももちろん持っている。
いい感じの深みのある流れでしばらく待ってみたがライズする気配はなかった。
待っている間にも風が吹いたり止んだり。虫も散発的に飛んでいるが数は多くはない。
僕はだんだん待っていられなくなり、ドライフライで叩きながら釣り上がり始めた。
しかしさっきまでのようなちびヤマメですら出てこなくなった。
春に黒いフライ。この色とこの角度が効くのよ。
こぶしも場所によってはこれから。
ベニヤマザクラは今が満開の見ごろ。
またライズが見えた。今度はどうか? 慎重にキャストすると一発で出た。フッキングした瞬間、僕はまたかと思った。
そして寄せたヤマメを見て、あっと思った。どう見ても今まで釣ったのと同じサイズだ。放流したヤマメがそのまま残っているクチか。ここまで十数匹釣ったが僕はだんだんもう数はいいやと思い始めた。
人は欲深い。釣れればいい が たくさん釣りたい になり、そのうち ちびはいいから大きいのが釣りたい となる。

この川が流れる里は花が多い。桜はもちろんだが、コブシや山桜、家々の庭先にもいろんな種類の花が植えられていて、それらが一斉に花開くのだから賑やかで華やかだ。
僕は最初の川の少し下流側へと車で移動した。このあたりはソメイヨシノは散っているがベニヤマザクラは満開だった。この花が満開の頃、確かこの辺りで釣りをしたことがある。
その時良い釣りだったかどうか、釣果よりも花の様子の方が記憶に残っている。
川筋の田んぼで作業をしていたおじさんが話しかけてきた。
「釣れるかね」
「いやあ、釣れるけど小さいです。水も冷たいし」
「まだ雪解け水だからのお。ここらは、藤の花の咲く頃が一番いいよ」
と、おじさんはそう言った。
藤の花の咲く頃。なんとも粋だねえ。

中洲を挟んでふたつの流れが合流するところ。
不用意にフライを投げるとバサッと魚体が覆い被さった。
「!」 空振り。しかし魚には当たっていない。
枝の折れた枝垂れ桜。この川の春の象徴。
山が次の色でサインを出してくれるまで。
二方向の流れが絡まる場所がこの日の当たりポイントのようだ。
そういう流れを見つけてまたキャスト。
ぽとりと落ちたフライに水底からユラ〜っと魚体が現れ、ゆっくりとフライをくわえた。
僕は一瞬なんのことかわからず、ワンテンポ遅れてロッドを合わせた。

時折風がぱったりと止む時がある。午前中より川の水は幾分冷たさが和らいだような気がした。
いつの間にか水面に映る僕の影が長く伸びていた。もうそんな時間か。
山が藤の花で薄紫色で彩られたらまたこの川に来よう、と僕はそう思った。