其の二百一  毛鉤を巻く不思議
フライタイイングをしていると、その時頭の中にあるのは、釣りの戦略(というか、これなら釣れるか、どうか)ばっかりで占められている。
その時のバイスに挟まれているものは、紛れもなく釣り道具としてのフライフックに相違ない。
金属のワイヤーにあれこれ細かなドレッシングを施して、ヤマメが食らいつきそうな昆虫に見せかけている。
それは変わる事のない事実ではあるのだが、その金属のフックに命を吹き込む、なんて洒落たことを考えるのもちょっとオツかな。
無数に存在する水生昆虫の、その一匹になるか?
ナントカカゲロウを模したフライだからそのカゲロウになる、ということではなくて、一本のフライに漠然と生命感とでも言えそうなものを持たせることができれば、そのフライは釣りにたずさえていくのにはなんとも心強い一本になるに違いない。
それは例えば細かなディテールであったり、水面や水中にある時の状態の表現であったりと、フライへの作り込みもいろいろな手法があるだろう。
でもそういうタイイングの手法によるものではなく、なにかフライに生命感を宿らせる方法があるような気もする。それは意図して行うのではなく、タイイングのプロセスのなんらかが作用して、結果としてフライに生まれる生命感というような、そんなものが。
単純にフックにマテリアルを手順通りに巻き留めていく。
それだけでもちゃんと釣りを成り立たせる要素を満たしたフライになるし、それこそが釣りのプロセスの中でいうところの生命感、ということになるのかもしれない。
出来映えの良し悪しだとか特殊なマテリアルを使っているだとか、そういうことは関係あるかも知れないしないかも知れない。
場合によっては、よく釣れたフライが結果として「こりゃあ生命感があるなあ」なんてあとから勝手にそんな感想を押し付けるだけだったりして。
最後にザクッと切った瞬間、それは虫に生まれ変わる。
川辺でさてどのフライを結ぼうかと思う時、フライボックスの中にふと目に止まるフライがある。あるいは部屋でフライを巻いている時に、これはちょっといい感じに巻けたなあと思うフライが出来る。
理由はあまりはっきりしない。それぞれのいいなと思う理由は異なるのかもしれないし。
それでも僕のフライボックスの中や部屋で巻くフライには、稀にそういうフライが出てくるのだ。
じゃあそのフライを使えばバンバンヤマメが釣れたのか? どうだったかなあ、これまた記憶が定かではない。
でも川辺でそのフライを使う時にはきっと迷いはない。部屋でそういうフライを巻いた時、それをフライボックスに入れた時点で、そのフライボックスは充実度が一段階上がった感じがする。

それならそういうフライばっかり巻けばいいのだが、さてどうやってそういうフライがコンスタントに巻けるのだろう。
ただの僕の思い込みか、その時良いと思ったフライもあとから見たら全然ダメに見えたりっていうこともある。
不思議なその生命感を宿すフライが、次にいつ巻く事が出来てフライボックスに入る事になるのか。巻いている本人ですらわからない不思議なフライができ上がるのを、僕はあてもなく待っている。