其の二百六  釣りに行かない夏
去年の夏はそれでも五,六回は釣りに行っていた。
気温は今年のようなことはなかったんだと思う、きっと。
気象庁のデータを見ると、僕の住んでいる町は去年は七月〜八月で35度以上の猛暑日は一日しかなかった。
それが今年はいったい何回猛暑日があったことか。
山だってそれに準じて相応に暑いに決まっている。雨も梅雨明けからどれだけ降っているのかなあ。七月の初旬に一度行ったけど、あの時はまだ梅雨で川も増水気味。蒸し暑くはあったけど、なんとかなった。
こんな天気の日、山はどうなってるんだろうなあ。
例年、夏の釣りはと言えば渇水やクモの巣、群がるブヨ、そして暑さとの戦いでそれはまるで修業だなあというイメージがあったが、今年はそんなもんじゃないかもしれないなあ。
もちろん降水の情報をみて、良いタイミングで入ればまだまだなんとかなるとは思うし、夏の釣りはそもそもそういうことは周知の上で釣行計画を練るところから始まるのだが。
今年はなんだかんだで釣りに行っていないのだから、感覚的にもそういうところから遠のいてしまっている。
暑い季節のいろんな障害を乗り越えて手にする一匹。大袈裟かも知れないが、その一匹のためにかなりの労力を割いても無駄だとかもったいないとかは今までは思わなかった。
きっと今年の猛暑日だって釣りに行っていたら同じように一匹を手にする喜びは味わえると思う。
それになによりいくら猛暑日だって山の木陰の涼風は健在のはずだ。
あの別天地の涼風に吹かれに行くだけでも価値がある。その風は部屋のエアコンとは全くの別物なのだ。
そして渓の冷たい水で顔を洗い、また風に吹かれる。びっしょり汗もかくけれど、体の中の悪いものが汗と一緒に出て行く感じで、これも悪くない。
そうやってリフレッシュして、またロッドを振れる。ただ暑い暑いでキャストしていたって集中力も途切れ、なかなか釣れるもんじゃない。
うまく暑さをリセットして魚のいそうなポイントを見極め、キャストする。
出ない、出ない。
もう一度キャスト、出た!
真夏の釣りは自分をうまくコントロールする必要がある。うまくいけばちゃんと魚が出てきてくれる。
春や初夏にはない、苦労を伴う釣りがいろんな要素を絡めて、印象深い釣行にしてくれるような気がする。
夏の日差しにさらされた流れ。
魚はどこにかくれているのか?
そんな夏の釣りを妄想していて、ふと我に返るとエアコンの効いた部屋はなんとも不健康なような後ろめたさが感じられた。
まあこういう年もあるかと自分を納得させる。せめて去年並みの気温だったら、なんてことを考えたりもするが、こればっかりは自然のものなんだからなあ。
なんだか外の様子が気になった。今日は薄曇りだが気温は33度までいっている。
窓を開けるとすっかり忘れていたセミの鳴き声が生暖かい風といっしょに飛び込んできた。