其の二百十八  無くした記憶
ようやく年賀状をなんとかしないと、と思い始めた。なにしろ年に数回しか使わないプリンターのことだから、調子が悪くても仕方がないか。
年末ぎりぎりになって年賀状を印刷するのは毎年のこと。しかもこれがまたうまくいかない。
なぜかプリンターを認識せず、ドライバを入れ直そうとメーカーのサイトで探すが最新バージョンがない。なんとか古いドライバを入れて動いたかと思えば給紙で詰まったり印刷面がずれたり、いつまで経っても一枚が完成しない。
来年に備えることは結構いろいろあります。
結局今年は3回しか釣りに行っていない。フライフィッシングを始めてから一番少ない釣行回数だ。
いつものように釣りに行っていれば、春から初夏、夏へと季節の移ろいを体で感じ取り、それがその年の印象として頭の中に刻み込まれる。
しかし今年はそれがない。
でも釣りに行ってなかったとは言え何かはしていたはずだが、それじゃあなにをしていただろう。
思い出そうとしてみてもうまく思い出せない。
う〜ん、大丈夫か? 自分。
大画面で見たら、川の記憶が蘇るか?
膨大な時間を費やしなんとか順調に印刷し始めたかと思ったらインクカートリッジを交換せよとの指示が出る。
つ、疲れる。
インクカートリッジを買ってきてどうにか年賀状との戦いも終盤に向かう頃、せっかくインクを買ってきたのだから年賀状だけで終わってはもったいないと思った。ちょうど某雑誌社の2011年のカレンダーのデータがダウンロードできるようになっていたので、それを印刷してみることにした。
印刷されたカレンダーの月の進んでいくのを見ていくにつれ、今年はあまり釣りに行かなかったなあ、と改めて思い始めた。
釣りに行っていたら過ごした時間は、釣りの時も釣り以外の時も頭に残っているのに、釣りに行っていないと過ごした時間はほとんど頭に残っていない。
それほど僕の普段の時間は釣りありきで組み立てられているのだろうか?
じゃあ禁漁期間はどうなんだという話になるが、これは釣りに行っていなくてもまずまず頭に残っているようだ。それは釣りを始める前からずっとそうだったように、同じような過ごし方をしているからで、釣りシーズンは釣りを始める前とは記憶のキーになるものががらっと変わってしまったからかもしれない。
釣りシーズンは釣りに行くことが記憶の幹になっていて、それに枝葉が付くようにほかの出来事が頭に残っていくようになっていたのだろうか。
その柱のない今年、ぽっかり穴の空いたような季節を過ごしてしまったんだろう。
釣りありきの記憶なんていかがなものかとも思うし、もっとほかにもすることあるだろ、とも思うのだが、いやこれはこれでいいのではないか、とも思ったりする。
しからば来年は、なくした記憶を取り戻すために行かねばなるまいなあ。行き先は、そう、決まっている。