其ノ二百三十五  水辺の近況  やってきた魚たち
「昭和の頃はたくさんバシャバシャと音が聞こえよったんよ」
畔の草刈りの手を止めておばさんは僕にそう教えてくれた。
遡上するマス類のペアリング、あわよくば産卵を見ようと、今年も懲りずに出掛けてきた。
天気は上々、僕は小さな流れに魚の姿を求めて背をかがめながら水面をのぞき込んだところだった。
今年一番だったこの日の冷え込みも「以前の頃に戻っただけよ」と言い、おばさんはまた草刈り機のエンジンをかけた。
どーん、迫力のライズ!?
いったん川を離れ昼食をとることにした。川の近くの食堂へ向かう。
定食を注文し、まずは撮った写真をチェック。なんとか魚の写真は押さえたがどれも一匹単独だ。ペアになっていない。
実際川には大小何匹かいたが、どの魚も勝手気ままに泳いでいた。まだペアを組む段階になっていないようだった。
せっかくでかいのがいるんだからご飯を食べたら今度はペアの様子を撮ってみよう。僕は定食をかきこんだ。
店を出ると風はなく少し日差しが暑く感じられた。そして静かだ。
平らな田園地帯は見通しがいい。静かな山里はまるで誰もいなく時間が止まっているように感じた。
見当をつけていた流れにその魚はいた。
その姿を見た時、僕は感覚が麻痺しているのだと感じた。
高い位置から水中を見下ろしているのだから、大きさの感覚が狂っているのかもしれないが、それを差し引いてもかなりでかい。
麻痺していると思うのはそんな魚を見てもあまり驚かなかったからだ。
そういう魚がのぼってくるとわかっていたからというのもある。
心の準備はできていたが、それにしてもシーズン中にはお目にかかれない大物だった。
穏やかな晴れの日。にわかに騒がしくなってきた。
しっぽで産卵床を堀ります。しっぽが痛んで白い。
体全体をブルブル。そのたびに魚体がギラギラ光ります。
天ぷらの御膳にミニうどんで至極ご機嫌。
目に鮮やかなりんどうの花。草むらの中の唯一の青。
日なたはむしろ暑いくらい。高原の木陰は快適そのもの。
音も聞こえずまるで時間が止まったような空間。
もう一度最初の場所へ戻ろうと思ったが、ほかの流れにいやしないかと、寄り道をしてみた。
それにしても人影もない。稲刈りは済んでいるところとまだのところがある。
別の流れを2,3箇所見てみると、最初の所より少し小さめだがそこにもマスが上がってきていた。
そして産卵床を掘っている。体を寝かせてブルブルやる度に魚体がギラギラ光る。アシの生え際でそれをやるとアシがざわざわ揺れるほどだ。
ここでもまだ雌単独で、雄の姿はたまに見えるがおとなしくしていない。ささーっと上流へ泳いでいったりまた下流へ戻っていったり。なんともせわしない。
マスのブルブルをたっぷり見たのでそろそろ最初の場所へ行って見ることにした。
土手を上がると広く開けた田園地帯と吸い込まれそうな空があった。遠くでカラスが鳴いていた。
あっと僕は思った。そして時計を見た。12時ちょっと過ぎ。
そうか、僕は朝ご飯が少なめで腹が減ったから早めにご飯を食べたんだった。
今はお昼時だから人が外に出ていないのかも知れない。
川からバシャバシャっと音がした。昭和の頃はこんなもんじゃなかったんだろうな、と僕は思った。
(来週につづくσ(^_^;))