その1 釣りにおける写真の役割とその遍歴
いにしえの釣りの歴史をたどるなんてことはようせんのですが、シンプルに考えてみても釣りの目的は魚を「獲る」ことが最初だったのだろう。
もちろん現代でもそれはあるのだが、一部変化も見られる。「キャッチ&リリース」は個人の裁量で、または釣り場の区間をそう定めて、というようにいくつかのカタチで釣り人の身辺に浸透しつつある。
釣った魚を持ち帰って食べるという「食」が目的の釣りから、釣りそのものを楽しむということへの変化は釣りの歴史の中ではかなり大きな出来事だろう。
もし尺ヤマメが釣れたら「釣ったでぇ〜っ」って言うことになるのだが、緊迫の魚とのやり取りのあと、ランディングに成功しネットに魚体を収めた時の満足感(ずしりと重い感触などもうたまらない)は全くもって至福の瞬間である。釣りのプロセスとしてはキャッチした瞬間に完了する訳だが、そのあとリリースする場合でも何かのカタチでこのうれしさを残しておきたいと考えるのは誰もが同じだろう。
釣りを始めたばかりの頃の写真。
それぞれに拡大画像があります。
自分の場合は写真を撮る。釣った魚の写真を撮る方は実際のところかなりいらっしゃるとは思うし、各釣り具メーカーからも釣り場の水辺へのカメラの持ち込みを意識したバッグなどの製品を出していることを考えても、今や相当数の釣り師は良型の獲物を前にして水辺の写真家に早変わりするはずだ。
撮った写真はプリントに出して、出来上がりを見てほくそ笑む。あるいは釣り具屋に持っていって壁に貼り、よろこびをほかの人とも共有する(いやいや自己満足と自己顕示欲の象徴でしょう!?)

いずれにしても写真を撮って帰ると釣りから帰ってからの楽しみがまたある。釣りが釣り場だけで終わらなくなる。
最初のカメラは水没してご臨終。
以前こんなことがあった。
数年前の五月のある日の釣行で、絶好の釣り日和ではあるが入渓者の多さに閉口気味でだれていた時、全くの出合い頭に(しかもよそ見をしていて!)ヤマメが釣れた。ネットを軽くはみ出す魚体にもう小躍りして喜んだ。体長を計るのが先か写真を撮るのが先か、けらけら笑いながら迷って河原をどたばた走り回っていた(はたで見たら怖いかもしれん)。
するとなんとネットの中で暴れたヤマメがそのままネットを飛び出して逃げてしまった。一瞬固まってしまい、そのあとまるでファイト中にバラしてしまったようなくやしさが込み上げてきた。
どうやら自分にとっての釣り(特に良型を釣った場合)は取り込んだだけでは完結せず、満足のいく写真を撮れてこそ、というものにいつの間にかなってしまっていたようだ。
釣りは釣りで、良型を釣った事実は間違いないのだが、写真がないと釣った事を仲間に伝えるのが言葉だけになってしまう(結局は自慢したいがための写真であるわけなんだよね!!)。
いい写真を確保できてこそ、釣りのプロセスやキャッチの瞬間の興奮が甦る、なんてそんなふうに考えるようになったのは釣りを初めてすぐの事だったのかも知れないのだが。
この魚は写真を撮り損なう事も無く。
でももう六年も前のこと。