その2 釣りにおける写真の役割とその遍歴 2
水際のリスクをかえりみず釣りにカメラを持っていくのはやはり相当の覚悟がいるようで、実を言うと結構やばい状況に出くわしてます。
最初のカメラは速攻水没させてアウト。その次のカメラを長い事使っているのだが、岩から落ちてずぶぬれになったり、岩場のへなちょこへずりでずるずると沈して(まるでスローモーションのように。でもどうする事も出来なかった。はたから見てたら笑えたかもしれん)何度も濡らしてオーバーホールに出す始末。
渓流の遡行は極力荷物を減らして重心のバランスを崩さないようにと某釣り師から教わっていたのだが、それでもカメラだけは置いて行けなかった。
部屋のコルクボードには釣りと魚の写真とカードの請求書がびっしり!?
ところが転換期は全く世の中の流れ通りに訪れた。
デジカメの台頭である。
3年前に友人からデジカメを譲ってもらい、去年は自分でも購入した。これにより今までとは別の楽しみ方が生まれた。釣果の画像が即見られると言う事だ。釣り場でも、帰ってすぐでも。フィルムを現像・プリントするタイムラグはない。おまけにフィルムは買わずにすむから経済的だし。
プリントの品質についてはまだいろいろと確執はあろうけど、絶対的なクオリティだけでない価値もデジタルデータは生み出す事が出来るようだ。
パトローネとメモリスティック。毎回購入と一回のみの差。
釣りから帰って即画像が見る事が出来るようになって、なにやらあれこれし始めたのが去年の梅雨時分だった。ワープロソフトで釣行記なんぞを作ったりした。釣行の臨場感とまではいかなくても、作っていると川の空気感が甦ってきた(いや、なんぼなんでもそこまでじゃないか?)。
でも作っていて飽きなかったのは確か。ただ釣り仲間にメールで送るだけだし、もらった方も「なんじゃこりゃ?」って思ってたろうけど、釣りに行くたびに作っていたから、十分楽しめて作れたんだと思う(我ながら)。
それも写真(画像)があればこそ、なのは疑う余地が無い。このホームページにしても然り、である。視覚にダイレクトに訴えかける写真というものは作り手の想像力をかき立て、見る人の活性(?)を高める効果があるのでは。
画像の閲覧もあっちゅう間。
人それぞれに様々な事情があるでしょうが、仕事が忙しかったり、体力的にしんどくなってきたり、思うように雨が降らなかったりしてなんだか釣りに行く気がせんなぁって言うような時に、いい魚の写真とかを見るとちょっとでも「行ってみるか」っていう気になったりしませんか?(私自身、自分の写真や仲間から送ってもらった写真を見てよっしゃぁって奮起しています!!)。