料金所のおじさんが「鮎掛けですか?」と声を掛けてきた。
「いえ、あの、川は川なんですが・・」となぜかしどろもどろで答えつつインターチェンジを降りた。リヤシートのロッドケースが見えたのだろう、この時期の主役はやっぱり鮎か鮎師か。
しかし私はこの日、本流から更に支流を辿り巨木の林立する源流へと向かった。あの谷ならまだ水位は下がりきっていないはず・・と。
彼方の谷は青く霞みそして遠い。
梅雨から続く増水の影響は来週までは持たないだろうと読んで、日曜日にもかかわらず出掛けてきた。市内から高速の区間距離で85Km。しかし、その数字以上の距離を感じるのはひたすら暑いからである(いや、片道2,550円というのがしっかり効いてるだ。隠すな隠すな)。
先週の快適な釣りが再現されるなんて勿論期待していなかったが、一気にこんなに「夏」になるとはね。この季節の標準であるところの「朝から暑い」は一年振りだった。
山の夏は朝のうちの方が湿度が高い。日が昇ると湿気は気温の上昇とともに蒸発し、風が飛ばしてくれる。頃合いを見計らって川へ降りると今度はブヨの大群が襲いかかってきた。気にしないしかない。
鬱蒼とした濃い緑に埋もれる。
水位は多すぎず少なすぎずの絶好のタイミングだった。一番ポイントが多くなる水位で、その素晴らしいポイントにフライを落とすたびに期待と緊張で胸が締めつけられるようになるが、緩むのもまたすぐだ。
狙っていた区間は全くの無反応ですぐ堰堤のところまで来てしまった。全く魚が出ないなんて・・。いつもはここで引き返す。しかし、堰堤から落ちてくる水量に強く突き動かされるものがあった。
堰堤を越えて落ちてくるこの水量が意味するものは・・。
じりじりと陽射しが強くなってきた。この堰堤の上流は当然釣ったことがない。
「行くか!」と決めた時にはもうすでに高巻くルートを目で探していた。どうやら頭で考えるよりも先に五感が反応するようだ。
高巻きを始めるとやはりと言うか、この堰堤は流石に巻くのは無理か?と思ってしまうような高さだが、やっぱりしっかり踏み跡があった。たくましい釣り師達はこれくらいの堰堤などものともしないのか。
右の斜面に取りついた。踏み跡はあるがかなり急斜面できつい。木の枝に顔をはたかれ、クモの巣まみれになりながらなんとか堰堤の上に出た。
最初のうちは堰堤に溜まった土砂に埋もれた流れしか見えない。しかし、期待はいやがうえにも盛り上がる。
堰堤の上流はそびえる木々の高さが段違いだった。
堰堤の上をしばらく歩くと堆積した土砂が姿を消し、また渓流の相に戻った。いくら釣り人が入っていてもその絶対数は少ないはず。しかも渓相も見るからにすばらしい。もちろんこれもこの日の多めの水位がもたらしているに違いないが。
さあ、と満を持してキャストすると一発で魚が飛び出した。やっぱりか、この区間はすごい!
しかし、釣れたヤマメは小さい小さい。でも一匹は一匹。
パクリッ、居れば一発で、居なければ全く出ず(そりゃそうだわ)。
一匹釣ったあとまた沈黙が続いた。うむむ、かなりキビシイ。水位は絶妙でももとから魚が居ないのなら話にならないのだが、そうなのだろうか?
堰堤上の区間は巨木が林立し、陽射しは届かない。直射日光は避けられるが薄暗い谷に湿気がこもったようでやはり蒸す。おまけにブヨは相変わらず顔の前に滞空しているし。偏光のレンズにもブヨが2匹止まっている。これはレンズの外側か?それとも内側にいるの?
ショートウィングカディスバリアント。視認性と浮力は抜群。
水量やポイントの感じなんかは言う事ないのに、やっぱり魚がいないと話にならない。いくら間違いないようなポイントでもだんだんフライに魚が出る感じがわからなくなってきた。ドラグはかかってない、レーンもいいところ、でも素通りするフライ。
ちょっと待ってよ、往復5,000円で一匹かよ! せめて2匹だろ(っていう基準がわからん?)

もともとこの川へ来たのは夏の増水時に良い思いをしたことがあるからで、決して見当外れじゃなかったはずなんだし、この日の増水具合も堰堤上の雰囲気もかなりのもので、それがどこでどう歯車が狂ったのか?
でもこういう日もあるだろう。こうなったらここらできっぱり引き上げないかい、自分。
直角に立ち上がる奇怪な木。堰堤上はこういう木が目立つ。
そうは言っても好ポイントを目の前にしておめおめ帰れるかと言うと、帰れんなぁ。ひょっとしてあの堰堤は「帰りなさい」という釣りの神様の信号だったのだろうか?
などと考えていたらひょっこりヤマメが釣れた。全くなんの予兆もなく(ある訳ないか)出るもんだからびっくるするじゃないか。でも高速料金5,000円のノルマ(?)の2匹目を釣ったからこれで帰れるね、自分。
こやつ、妙に艶めかしくないかい?
なのになぜロッドを振り続けるの? 自分。
明日は仕事だしもう帰ろうよ。いやちょっと待って。あのポイントを攻めずには帰れんでしょ。などと二つの人格の確執は続く。
しかし疲れていたのも確かで、キャスティングもウェーディングも徐々に荒れてきてる。左の上方に林道の直線が見える。エスケープすべきか? 
迷いはあった。それでもキャスト。不意に足元がふらつき、フライの流れる水面が弾けた。よろけながら反射的に合わせるとググッと重くロッドがしなった。
「! これは!!」ぐいぐいとラインを持っていく。ただの魚じゃない。でも万全の合わせじゃなかった。クッっとロッドティップがはねて、料金所のおじさんへの土産話はなくなった。
里まで降りると夏の雲が沸き立っていた。