今日は用がある。忙しいのだ。
焦りを示すヒストグラムは上昇の一途をたどり、私の間隔尺度変数は加速するばかりである。
こうなったのも全てこの川が悪いのだ。なにしろ遠い(だったら来なきゃイイ)。ハヤばっかり釣れる(だったら他所行けよ)。おまけに寝坊したから出発自体が遅かった(そりゃ自分のことだって!)。
でもロクな釣果も出せないままこの日の予定はこなせない。ナットクできる釣りが出来てこそ気分良く釣りが終われる。
田に水が入り、緑濃くなる季節がやって来た。
しかし無情にもハヤのみで正午をまわり、茂る枝葉とポイントを死守せんとばかりに張られたクモの巣に辟易とし出した頃、川筋の斜面で野良仕事をしていたばあちゃんが(「のらしごと」で変換したら「野良死後と」、と出てしまったのが怖い・・ばあちゃんゴメン)話しかけてきた。
「ご飯食べたかね?」
「いやー、まだです。でもソーセージとバンがあるから」
「ふん、あんまりうまそうにないね。おにぎり食べてくかね?」
いや、そんな見ず知らずの人に・・。
ま、いいか。
目に眩しいほどの新緑が訴えかけてくる。
ばあちゃんの息子さんがやはり渓流釣りをするらしく、この日も朝早くから釣りに出掛けているそうだ。
ここからは私の想像だが、ばあちゃんはこの川を訪れる釣り人をもてなす事で、息子の無事を願掛けているのだ、と感じた。
塩だけでむすんだおにぎりと漬物は素晴らしく美味しかった。保温の水筒から注いでもらった熱いお茶をすするともう、なんにもする気にならない。
(こりゃぁ今日は何年振りかのボウズかな)と予感したが、どうにもこの虚脱感に勝てそうもなく、それでもいいかな、って思い始めていた。
ばあちゃん、本当にご馳走さまでした。
竹の葉でくるんだおにぎりのお土産までもらって、至れり尽くせりの昼食を終え、ばあちゃんに礼を言って川に戻った。
どうにも気合いが入らない。だらけたキャストを繰り返していると、不意に魚が飛び出す。釣れる訳がない。こんな気の抜けた釣り師に付き合うほど渓魚もヒマではないのだ。
いかんいかん、なんとしてでも釣らなくては。たっぷり昼食に時間をかけたからもう二時を過ぎていた。
この日はこのあと山をひとつ越えたところにある温泉に入り、今夜はキャンプする予定だ。すでにいつものキャンプ場でいつもの仲間が待っている。
光の粒をまぶしたようなヤマメ。
ふと今は五月だ、と思った。ならば五匹釣ろう。
川に向き直り、しかしキャストはしない。川を見る。とことん見る。そしてじりっとポイントににじり寄る。するとさっと黒い影が走った。なんのことはない、近寄り過ぎだ。
どうにもまだアタマも体も虚脱したままのようだが、今のはヤマメに間違いないだろう。ようやくハヤの勢力圏を脱出したらしい。
そうとわかれば話は早い。目ぼしいポイントへ闇雲にキャストする。するとフライは見切られ、出ても空振り、掛けてもバラし、寄せてもライン切れ。全くもって素晴らしい魚影の濃さである(?)。
「この季節、なんだかいろんなモンが水の中に入ってくる。ま、賑やかでいいけどね」
一匹目、瀬の開きでピックアップ寸前にフッキング。
二匹目、プールの水底から突き上げるようにフライに食いついた。
三匹目、一度は見切られでもそのまま流すともう一度フライに突進したヤマメは今度はこらえ切れずに・・。
四匹目、そこまでしなくてもっていうくらいに水面に魚体を飛び出させてフライを引ったくっていった。
なんと4キャストで四匹。これもばあちゃんのおにぎりの効果か? それまではただ単にハラが減っていただけか??
まるで吸い寄せられるように釣れてくるヤマメ達。
あと一匹。
徐々に残り時間が少なくなってきた。しばらく魚の反応のないまま川を遡ると、目の前に尋常ではない光景が現れた。大型のヤマメが狂ったようにライズを繰り返しているのだ!
(最後の一匹がこいつか)ばあちゃんのおにぎりをほおばりながら、目の前のライズに対峙し、でもキャストはしない。
このあとの温泉もキャンプももちろん大事だ。しかしナットクできる釣りが出来てこそ気分良く釣りが終われるのだ。
私は迷うことなくリールからラインを引き出した。
陽が傾くと急にテントサイトが恋しくなってくる。