確か台風が来たはずなのにそんな気配は残っていない。すでに1000ヘストパスカルを超える高気圧の停滞が、過ぎたばかりの台風の残像を消し去ってしまったようだ。
そうなれば話は早い。用意した雨具も車にほっぽっいといてロッドを取り出し、用意もそこそこに川へ下りた。
この日入った谷は照葉樹が生い茂り、すっかりの真夏の日差しですらさえぎってくれる頼もしい谷だ。不思議なことにクモの巣も少ない。同じ時期で同じくらいの標高の川でもポイントの上にバリケードの如くクモの巣が張りめぐらされている川もあるのに、一体なにがどう違うのだろう?
入渓してすぐ来たヤマメ。でもここから上流は全てゴギだった。
入渓して数メートルでヤマメが一匹。逆光のプールでライズリングだけを頼りにフッキングしてそのまま寄せた。
そしてヤマメはそいつがこの日の最初で最後になった。ちょうど今日の入渓点がヤマメとゴギの生息域の境界だったようだ。その数メートル先のプールでしつこく何度も流していたら思いがけずアタックがあった。強いトルクフルな引きはゴギのそれに間違いなく、水中に居るうちから頭部の虫食い模様がはっきり見てとれた。
6月。この渓相にして、クモの巣なし。
更にもう一匹ゴギが釣れて、まだ入渓してものの数分でこれだ。今日はこの先一体どうなっちゃうんだろう。どうにもゴギ天国が待っている様な気がしてならない。
この川はずっと脇に林道が走っている。「伐採なんかしないでよ」とお願いしながら、「先行者いるなよ」とお願いしながら(お願いばっかり)釣り上がる。不意に上流側から軽トラが下ってきた。荷台には子供が二人乗っていて、なにやら叫んでいる。
弟「釣れるのー?」
兄「釣れやしねーよーっ」
むむっ、失敬な。そういえば春先にもこんなことがあったなぁ。じゃぁ、釣って見せようか、ガキンチョめ。と思うが早いか、軽トラは下っていってしまった。あの子らもいいモン見損ねたね。かわいそうにね。
緑のブラインドが陽光を遮る。
きっとあの軽トラの親子はこの先にある山葵(ワサビ)田で朝の作業をしていたのだろう。この川沿いには多くの山葵田がある。釣りながらいくつもの円心形の葉が目に付く。山葵はアブラナ科の多年草なのだが、この葉を見るとアブラナ科っていうのがピンと来ない。葉っぱはなんか蕗みたいだし。
でも山葵っていいよね。辛味とつんとくる香りが夏らしい。山葵の合う食べ物に不味いものってないじゃない、ホント。
ちなみに私のお気に入りのバンブーロッドにも山葵色のスレッドが巻いてあります。
青いシャドウを入れたゴギ。お洒落です。
#10サイズのまっくろカディス。
でもフライはパラシュート。
至る所に山葵田。ということは水がきれいで沢がたくさんあるということ。
今日はそれなりには暑いのだがブヨがまとわりつく事もなく、この川は先述したようにクモの巣もほとんどない。快調にゴギを拾い釣りしながら上流へ向かう。
途中サイズがガクッと落ちたが、しばらくするとまたサイズアップしてきた。そしてなによりこの川のゴギは20cmに満たないサイズでもその引きの強いこと。それがそこそこのサイズだと大変なことになる。竿ごと持ってかれるような引きはここ数年味わった事がない。その割に寄せた時に見える魚体にがっかりするのだが、いやいや小さくても十分興奮してしまう引きの持ち主に敬意を払わねばなるまい。
釣り人「ゴギの棲む川に釣りに行けて幸運です」
ゴギ「ゴギを釣る釣り師のいる川に生まれて不運です」
かなり奥の深い川だがそろそろ最上流域に達してきたようだ。なんとかスポット的にポイントがある以外は釣りの出来る水量ではなくなってきている。

全く不意に強風が吹き荒れた。どうも過ぎ去ったはずの台風の吹き返しの圏内に入ってしまったようだ。こうなるとキャストすらままならず、フライも風に押し返されて私のすぐ前に落ちてしまう。
川の水量からしてもそろそろ潮時かと思ったが、最後にもう一度ゴギの顔を見て、この渓をあとにしたい。

なかばムリヤリのキャスティングでなんとかポイントらしいところに叩きつけたフライは、バリバリのドラグが掛かって話にならない。そんなドリフトにもそのゴギは食らいついてきた。ダイレクトにグリップまでアタリの衝撃が伝わり、水面を割ってあの虫食いの斑点が躍り出た。
釣り詰めた事のない上流域。
でももう少しイケルかな?