七月と言えばサツキマスを釣ろうと言うにはかなり遅い。
どちらかと言えばシーズン終盤、あるいは六月末でおしまい、っていう認識がある。
となれば六月末に年券を買って、七月からようやく今年のサツキに挑もうなんて、そうとうタイミングの感覚がズレている。
とは言え、そうなってしまった。
「行こう」と、そう思ってしまった。
もうあとには引けない。
川へ向かう釣り師と先行する釣り師。
されど目当てのサカナは違う。
発端は一通のメールからだった。
サツキ常連の友人Yの今年の戦果は全て私と友人FがYに譲ったフライで、だと言う。
記憶の糸をヒモ解くと、そういえばなんかヒゲナガのパターンをあげた事があったかなーって、思い出した。そんな事が書いてあったメールを見てふと、
(行ってみるか)
と思ってしまったのだ。
もう何年も行っていない川へ、何年も振っていないロッドを持って。
ヒゲナガをイメージするフライ。
こいつがサツキマスを惑わす。
本流で釣るのは何年ぶりだろう? 
すっかり足が遠のいてしまっていた。どうもこの釣りは「辛い釣り」とか「釣れない」とかのイメージ(それは不甲斐ない私の釣り経験がもたらした)があって、視覚的に楽しく軽い道具で出来るドライフライの、きれいな山と水の渓流で出来る釣り一本になってしまっていた。
それはそれでいいのだが、今年は少し周辺がざわざわと騒がしかった。M川氏のホームページでも釣果の報告が次々とされ、それを見るにつけどうにも落ち着かない。
確かに以前は良く行っていた。月曜日から月曜日まで(毎日っ!?)行っていた時もある。それでも釣れないモンだからしまいにはとにかく一匹釣れさえすればいい、一匹釣れさえすれば・・・、とそう思い始めていた。
さて、とにかく川に着いた。
暑い。当たり前だ、七月なのだ。
土手の上から見渡すと、狙っていたポイントは鮎師の船が5〜6艘、更にはフライマンらしき人影が二人、いや三人いる。
(この時期でもやってる人、居るんだ)
しかし、これでは入る場所がない。少し下流側へ歩いて行ってみる。だが川岸へ行くまでに小規模な森のようなブッシュが立ちはだかり行く手を阻む。
こいつを乗り越えるパワーはちょっとないなぁ。
先行するM川氏。徹底的に通っているらしい。
携帯が鳴った。
Yからだった。三人のフライマンの内の一人のようだ。土手の私の車に気がついて、かけてきたのだ。
場所を譲ってくれるというYに 「いやー、悪いよ、そんな」 と言いながら私はそのポイントへ走り出していた。
いろんな偶然が重なっていた。Yのメールがなければその気にならなかった訳だし、Yが私の車に気がつかなければその場所に立つ事は出来なかったし、まだある。
某フライ雑誌の編集のH氏と電話で話している時にサツキの話になった。私はまだ釣った事がない、と言うと彼は 
「きっと釣れますよ」
とさらっと言った。彼の言葉に根拠はなく、その言葉を聞いてピンと来た私のヒラメキにも根拠はない。そして根拠のない何かに突き動かされて川に立ち、その時がやって来た。
間違いないのはどんなにきれいに撮れた写真でさえ、実物の足元にも及ばないと言うこと。
岸辺で跳ねまくる魚体はイダでもオイカワでもない(このサイズのオイカワは結構こわい)、間違いのない銀の魚体だった。
フッキングしてからラインを巻き取りリールファイトに持ち込み、そのあらがいようからサツキマスであることを確信するまでに、なにか違和感を感じた。
あれほど川に通い、何度もキャスティングし、疲れて帰る車中から見える街の夜景にほっとしたり、部屋に着くなりばたりと寝込んでしまったりと、そんな印象しか残っていない。
それがこうもあっさりとその時を迎えるなんて、なんて思うと妙に現実感がない。
現実感はないのだが、それでも現実は現実。目の前の魚体はまぎれもない、現実なのだ。
重く太い魚体は私の手にもランディングネットにも余る。その奥行感も重量感もきっとその時でしか味わえない。写真では残し得ない、確かな記憶を今、私は私の掌と胸に刻み込んだ。
偶然(でもないか)居合わせたM川氏に現認者になっていただいて、私のサツキマス釣りは終わった。
下流に場所替えをしてくれたYにもすぐ電話した。
(一匹釣れさえすればいい)
私の目的は果たせた。これで心おきなく渓流のドライフライフィッシングに没頭できる。
さあ、来週はどこの渓流へ行こうか?
んー、でもマテヨ・・・。
もうイッペン来ようかなぁ、サツキ。
(そんなモンです、釣り師って)
この日の一匹を仕留めたターキーセッジ。