食べないけど食べごろサイズだ、と思ったらバレた。実はそいつがこの日の一番の型だった。
とにかく寒い。明け方の雨は上がっていたが、気温は上がらない。厚い雲に覆われた空はしっかりと陽の熱をさえぎり、釣る意欲までもが吸い取られてしまうようだ。
天気がどんより重苦しい時にヘビーウェイトのニンフはもっと気持ちが重くなる。せめてフライはフェザーウェイトでと、ドライフライを結んだのは果たして正解だったんだろうか?
まるでグレーのフィルターをかけたような・・。
フライを追う影が見えたが、直前で見切られた。しかし、その影の小さいこと。こんなチビですらスレている。解禁後の数週間でそうとう痛めつけられたようだ。
その後も見切られたり、出ても空振りしたりが何度もある。更にはフッキングしてもすぐバレるとか、ずばっと魚体を現して出ても食ってないなんていう状況が続く。放流間もないアマゴは水面の捕食が不得手らしい。釣り手の未熟さと重苦しい天気がそれを加速する。
「ホントは水面まで出るほどハラ減ってなかったんだよね」
もう帰ろうか、と時計に目をやるより先に下流を振り向く。誰もいない。まあ、入渓地点に車が停っているから、たいていの釣り師はこの近くからは入ってこないだろうけど、だんだんこの日の目的がぼやけてきた。
徐々に下がって行くモチベーションを維持し続けることを諦めて、車へ戻る決心をしたのはまだ昼前だった。
雪が降り出してもおかしくない空模様。
帰ろうと決めたのにウェーダーは脱いでいない。このあたりが未練たらたら釣り師の本性ですなぁ。
戻り道の途中、紅梅の木が目にとまり写真を撮っていると、その家からおじいさんが出てきた。
「釣れたかね」
「いやー、小さいのが何匹かだけです」
「もっと下流にある赤い橋の所から入ってごらん。道路からだと険しそうに見えるが降りると結構歩けるし、上流よりもずっとサカナがおるよ」
春の気配もそこここにある。冬と春が同居する季節。
サッと日が射してきた。空が明るくなるのと同時に私も一気に元気になった。さっきまであれほど、気持ちが沈んでいたのにどうしたことだろう。まったく釣り人とは不思議な生き物だ。
おじいさんにお礼を言い、車に飛び乗った。おじいさんの教えてくれたところは道路と川との高低差がかなりあり、今まで敬遠していた区間だった。
川へ降りる道なんて地元の人でしかわからない。その小径をたどると、見事な流れが現れた。水深、川底の石、岸のブッシュの具合、全てが完ぺきと言っていい。空もいつの間にかスカッと晴れ渡っていた。
ロッドを握り直す。今日の釣りはここからがホントの始まりだ。キャストした軽いはずのドライフライは私の期待でズシッと重くなっていた。
私の記憶の中でも五本の指に入る見事な渓相。
しかし、現実はそんなアマイものではなかったようだ。およそこの流れでサカナが出ないことなんて私の経験からは考えられない、というような好ポイントがことごとく全くの無反応だった。それでも次々と現れる絶好のポイントを前にして、川から上がる気にはなれず執拗にキャストを繰り返す。
少しおかしい。キャッチ出来る・出来ないはともかくサカナの気配さえ感じられないのだ。せめて直前で見切られるとしても、接近する魚影くらいは見えても良さそうなものだ。フライを替えティペットも細くしてみても結果は同じだった。まだ午前中の上流域での釣りの方が反応がある分マシという事になる。よもやの状況に午前中の疲れも相まって、足取りが重くなってきた。
この日くらいに気持ちの抑揚が極端な釣りも珍しい。でもこんな日もあるかなぁなんて考えてたら土手の上の畑で農作業していたおじさんが声をかけてきた。
「どうかね?」
「いやー、全然です。紅梅の木の家のおじいさんに、ここはいるって聞いて来たんですが」
「ああ、あのじいさんならこの川に来る釣り人みんなにここを教えてるよ」
「へっ!?」
ハラ減った。そろそろ帰ろ。