雨が降らない。解禁からもうすぐ二ヶ月経とうとしているが、その間には数えるくらいしか降っていない。
おまけに木々の枝葉の成長する、木が水を必要とする季節が重なり、川は減水する一方だ。
それでも快晴のこの日聞こえてきたウグイスの鳴き声に、平安の京で清少納言もこの声を聞きつつ歌を詠んだのか? などと思いふけったりした。
ん? マテヨ、「鳴くよウグイス平安京」は年号の覚え方じゃんか!?
新芽がふくらみ、もうじき毛針の引っ掛かる季節(?)がやって来る。
ピリピリとした神経質なアタックがあった。無論空振りで、
「アマゴだな」 とすぐにわかる。
また水面が弾けた。空振り。
釣り人のプレッシャーか、減水の影響か? いずれにしても、アマゴにとってはストレスのたまる状況であることは間違いなさそうだ。
そんなピリピリ感は釣り手の側にも伝わってくるようで、なんとかフックアップ出来たアマゴをネットですくっても、どうにも「疲れたー」って感じなのだ。
実は一年で一番水の少ないのがこの季節だったりする。
車を停める場所に困っていた今朝、川岸で作業をしていた地元のおじさんが
「ここに停めんさい」 と場所を提供してくれた。
恐縮しつつ入渓したのだが、その時飛んでいたカゲロウの数がそのままその日の釣果に通じないのも、渓流釣りの機微とでもいうのだろうか?
作業中のおじさんも、この季節にしてすでに強烈な紫外線の楯となるムギワラ帽子のつばを上げ、釣り上がる私を半ば羨望のまなざしで見送ってくれた。
今年の初ゴギ。強烈なコントラストの中の一匹。
この日の川はS山とG山に挟まれたG山を源とする水系だ。入渓したのはかなり上流域で、すでに山岳渓流の様相は消えていてフラットで渇水の流れが伸びている。
川筋は道路からは離れる一方で、また車の場所まで川を戻る事を考えると気が重くなるから考えない。
またアマゴが出た。掛からない。いい加減イライラしてきた。毛ばりは引っ掛かるし、ラインは自分で踏むし、今年最初のブヨの襲撃にもあうしで、これも全部アマゴのせいだ(ってそりゃアマゴがかわいそう)。
ほとんど源流に近いあたり。更に水がない。
ここまで水が少なくなってくると、魚の棲む場所は限られてくる。そんなところに一発必中の釣り師が仕掛けを投じたら、根こそぎやられてしまうのは容易に想像が付く。
イライラの元凶のアマゴ(かわいそう)でさえその姿を見せなくなり、もう引き返し時か? と思い始めた。あと何日か雨が降らなければ水も枯れてしまいそうな流れに最後の毛針を投じると、意表を突いて水しぶきが上がった。ロッドを立てると心地よい手ごたえが伝わってくる。水面で暴れ回ったそいつは、しかし呆気なくバレた。でもピンとくるモノがあった。
(今のはゴギだ。間違いない)
「オイッ! ぼやーっとしてんじゃねぇよ」 「まぁ、そうピリピリしなさんなって。このニンフ、いけるよ。どう?」
探さないと見つからないくらいにまでなったポイントを更に絞り込んでゴギポイントにターゲットを変えた。
モソッとアタマを垂直に飛び出させてまたゴギが出た。勇んで合わせたが空振り。しかし、不思議と悔しくない。先入観でそいつがゴギだと思っているからだ。
ふっと体が軽くなった。これも不思議だ。ロッドを振るのでさえ億劫になりかけていたのに。
ぬるりと音もなく不思議のモトの魚が毛ばりをくわえ込んだ。トルクのあるいい引きが伝わり、水中にいるうちから白い斑点が見える。
決してアマゴを釣るのがイヤになった訳ではないが、(今日はゴギを釣りたい気分だなー)っていう日だってたまにある。シブいライズを手持ちのフライを総動員して釣る一匹も素晴らしいが、でっかいドライフライをゆっくり水底から泳ぎ上がってきて、くわえるまでを目で見ながら釣るっていうのも魅力がある釣りだ。
突如現れた「ゴギ止めの滝」?
「昔はものすごい数のホタルが飛んだもんだが、最近はすっかり減ってしもうた」
駐車場所を提供してくれたおじさんは川土手で作業をしながら、しかしそのあたりの自然の事情については言及するつもりはないらしく、
「ギギやゴリもおらんようになった」ともう一言ぽつりともらすと、また作業を続けた。それでも私が何匹か魚を釣ったことを話すと、にっこり笑ってうなずいてくれた。
さしずめこのおじさんの表情は渓魚に例えるなら文句なく「ゴギ」だろう。
四月中旬、この日は観測史上最速の夏日を記録した。

さて、来週はゲンキを充填して「ヤマメ」でもやっつけに行きましょうかね。
その後川はぐるりと回り込んでまた道路と交差していた。