トラックの荷台には小さな女の子が乗っていた。お昼が近いからごはんを食べに帰ろうとしているようだ。
横には収穫した山葵がたくさん載せられていた。土曜日だからお手伝いしたんだね、ええ子じゃね〜。

おっと、それどころではない。早朝からの入渓は、全くの想定外、ありえない、が続いていた。
満を持してのこの時期を狙ってのこの谷のはずなのに、全く魚が出てこない。ここんとこチョーシ悪いなー。
涼風の吹き出し口。渓流トンネルへようこそ。
車まで戻り、少し上流へ移動した。
朝のうちの曇り空もいつの間にか晴れ渡り、徐々に上がる気温に体力と集中力とバランス感覚が奪われていく(いやバランスは・・・歳?)。
それにしても納得がいかない。今日の区間は今が一番いいはず。先行者の気配もなく、新しめの足跡もなかった。水量も多すぎず少なすぎずなのに。
明らかに魚が居なかった。居れば少なからず反応がある。
水系を変えるには時間が経ち過ぎた。この川の上流に賭けるしかなかった。
渓の水も光を浴びて輝きを増す。
今年のあちこちの川は去年の台風の傷跡も生々しく、木が倒れていたり地形が変わっていたりしている。
この日の川も例外ではなく、倒れてほったらかしの木が、好ポイントを塞いでいたりした。しかし、違っていたのは川沿いの林道が舗装されていたことだ。
上流には山葵田があるからそのための作業の車の通行が出来るように、先に直したのだろう。しかしこれだけ道がきれいなら釣り人も訪れやすかろう。だからか??

林道を少し下流へ歩いて、途中から川へ降りることにした。
その途中、ふと川を見下ろすと、倒木の下の小降りのプールで魚影がぐわっとUターンして水面がうねった。
「!」
かわいそうに、ライズなんて、釣ってくれって言ってるようなもんだ。ご愁傷様。
いつの間にか緑濃く、涼風が恋しい。
プールの下流に降りた。フライを付け替えティペットをチェック。もちろん落ち着いて投げた方が良い。そうに決まっている。
しかし矢も盾もたまらず一投目を投げた。ラインが水面を叩き、フライは着水直後からドラグがかかって高速で流れていく。その下、ゆらっと魚影がフライを追った。
それだけだった。
こ、これじゃあ釣れんよな〜。もうちょっとましな攻め方も出来たろうに。数少ないチャンスを軽く潰してしまった。ご愁傷様は僕だった。
午後の作業が始まったようで、また軽トラが林道を上がっていく。
僕にはここから先の流れに魚が居るようには思えなかった。
岩に腰を下ろしておにぎりを食べていると、こんな山奥によく入ってきたなと思うくらいの大型のSUV車が林道を降りてきた。明らかに釣り師で、もう釣り終わって帰るようだ。
上流側から降りてきたということは、たぶん僕と彼とは釣りをした区間は同じではないはずだ。運転席の彼はこちらを見、僕は目を伏せた。
なんか、せっかくの休みの日にえらく惨めな気がしてきた。
なにか、なんとかしないと・・・。
オレンジのボディが鮮やかなウエノヒラタカゲロウ。そして、そのボディは透ける。
このパラシュートのこの角度で釣る(!?) こんな緑の中にいれば、心身ともにきれいになるわあ〜。
今シーズンはボウズも何回かあった。
だから、こんな日は思い切ってきりあげてもいい。
でも一匹、渓魚の顔を見たい。
一匹でいいのだ。なんとか一匹。一匹くらいなら・・・、の一匹五段活用が僕をさらに上流へ駆り立てた。

目ぼしいポイントだけを拾い釣りする感じで、次々とフライを放り込んでいく。
倒木も飛び越え、岩と岩もジャンプする。すべってよろけても無理やりバランスを建て直して、そのままキャスト。
普段こんな荒い釣り上がりはしないのに、もう止まらない。
気持ちに焦りがある。逆にこんなんじゃ釣れる魚も釣れないような気もしてきた。
チュバッと小さい魚が出た。無視してピックアップし、その先へキャスト。
今度はチュバッではない出方。ティペットが水面に突き刺さっている。
釣り人は川だけでなく、森も歩くのです。
この日最初で最後の獲物はゴギだった。しつこく写真を撮って、リリースすると水しぶきをかけられた。怒ったの?
釣り手の精神状態が不安定なら、釣られる魚に対して失礼なのかも知れない。
顔を上げると先には好ポイントが続いていた。初夏の午後の陽射しが眩しい。
僕は、ラインを巻き取った。

帰り際、ふもとの集落では家の人と子供たちが山葵を洗っていた。
僕も帰ってから山葵でも買って、体内浄化しよーかね。
山葵谷のふもとの集落。田植えも終わっています。