夏の連休になんとか一回は釣りに行こうと画策していた。
しかしこの暑さと日照り続きを考えると、まともな釣りの出来そうな場所が思い浮かばない。
いや、あるな。あの川なら・・。

車を降りるなり、アブの襲撃に合うかと思いきや、飛んできたのは赤とんぼだった。しかもかなりの数。
そう言えば今まではいくら朝早い時間であってもそれなりに暑かったのが、この日はそうでもないことに気がついた。
盆を過ぎて確実に盛夏から晩夏へと移ろう気配を感じて、なんだか元気が出てきた。
ロッドを継ぐと待ってましたとばかりに赤とんぼがティップに止まってくる。
ほかに止まるところはいくらでもあろうに。でもこれもシーズン終盤の見慣れた光景のひとつだ。
その渓の入り口には御神木のような
巨木が立っている。
ひらりひらりと赤とんぼをかわしてキャスティングしているのか、赤とんぼがラインをよけているのか。
とんぼの群れを従えて反応のない水面を叩いて上がる。
やはり日の照る場所はまだまだ真夏のそれだし、ガンガンに日の当たるポイントでは釣れそうもない。
ひとしきり歩いて木陰に腰を下ろした。水分補給をして渓の水で顔を洗い、ふと見上げるといつもある古木がさらに大きくなって見下ろしていたようなそんな気がした。
マクロ撮影もAF補助光も気にしない。
器の大きな赤とんぼ様。
いくらか小さいゴギが出てくるがフッキングしない。風が吹かない。ミンミンゼミが遠くで鳴いている。
ちょっと晩夏の気配を感じたのは最初だけだった。もうたまらなく暑い。酸素も薄いに違いない。
ブヨも目の前に集り始めた。非常に不快度アップで、なにしに来たんだかわからなくなってきた。

また休憩。ベストを脱ぎ川の冷たい水で顔を洗う。黒いアゲハ蝶が岸辺に群がっている。雲が影を落としながら流れていく。
ふと気持ちが緩んだ時、この前のキャンプで仲間と話したことを思い出した。
アブラビレフェチなのです。
よそ見をしている時に限ってフライに魚が出ることがかなりある。
殺気が消えるからだ、なんて話をしたのだが、本当にそういうことがあるのだろうか。
人間でさえ、視線を感じ取ることができる。誰かに見られているような気配は経験があるし、こちらがほかの人をじっと見ていると、その人がそれを感じてこちらを振り向いたりとかも、確かにある。
もとよりポイントへの接近の仕方が一番大事だが、それをクリアしたあとはギラギラした視線で流れるフライを見続けようがよそ見していようが、結果は同じ・・・ではないようだ。
なにしろ相手はいくら水の中に居るとはいえ、体全体で気配を感じ取る強者なのだから。
釣りを再開するとまたどこからともなく赤とんぼ達が飛んでくる。そんなにフライロッドが好きなんかねぇ?
しばらく行くと絶好のポイントと思われる小振りのプールが現れた。
(ここで釣らないと・・!)
フライの水気を切りフロータントを塗り直す。もちろんティペットもチェック。
準備万端、最初のキャストで一番いいところに落とす。一投で決める。
キャストと同時に赤とんぼが横切った。フライは思い通りのところに落ちた。
(そうか、忘れてた)
しっかりフライを目で追っていたが、少し眉間の力を抜いてみた。これくらいで気配が消えるのかしら?
と、水面が渋く弾けた。やった!

効果はあったような気がするが、気配を消しても小さいゴギは小さいままだった。
もろもろの虫達を引き連れて、上流へ。
この川に来たら毎回釣りはここまでという場所にたどり着いた。
そこから先は見上げるような角度で川筋が続く、小さな家くらいの巨岩帯になるのだ。もちろんここから先では釣りをしたことはない。
すぐ横にずっとあった林道もここから離れてしまう。
なんとなく足が向かわなかった場所なのだ。

家を出る時から今日はここをやってみようと決めていた。
ソフトハックルが反応良好。
それまでの遡行がなんだったのか、という位に様子が変わった。
ほとんどが岩をよじ登るばっかりで、その岩と岩の間にあるポイントにフライを落としていくだけの釣り方なのだ。
そのポイントからは確かにゴギが出てきはした。しかしこれまた小さい。
それでもここへきて、ようやくテンポよく釣れ始めてはきていた。ほぼ、ワンポイントワンキャッチのペースになった。

前へ(上へ)進む分だけ不安が募る。当然上がっただけは降りなければならない。それを考えると気が重い。
上がるよりも降りるほうが危ない感じだし、釣ろうとするために前に進むのと帰るだけの下りとでは士気が違う。
などと考えるということは、すでにこの渓に対して逃げ腰になっているという事か。
ほとんど登るという感じの源流帯。
気がつくと赤とんぼ達はついてきていない。セミの鳴き声は一段と遠くで聞こえている。
水の流れる音だけが延々と続き、風も止んだ谷に暑い空気が淀んでいた。
またひとつ岩をよじ登り、一匹ゴギを釣る。
飛び出すゴギも上がっていくにつれ小さくなっていくようだった。

ふと、いましがた釣ったゴギの顔を見て、もうやめにしようと思った。
この先にとんでもない大物のポイントがあるかもしれないし、もう少しは楽な遡行が出来る場所になるかもしれないけれど。
ラインを巻き取ると、その音にひかれてか、赤とんぼが飛んできた。
ゴギはなにも言わないのだけれど、何かを言っているような。