車のドアを開けると、予想以上に春が遠かった。
無風の快晴とは裏腹に空気はピリッと冷え込んで、川の流れ以外には動くものもその気配も見当たらない。
当然ニンフの出番となる。
今年はこればっかりだが、それでもこいつなら手堅い。
早速プールに落とすと、日の差し込む水中から魚影がニンフに向かって突進してきた。
魚影が引ったくると同時にフッキング、で、バレた。
三週間ぶりにお会いできましたね。
少し進んで一枚脱ぐ。あ、暑い・・。着いてすぐは寒かったが、動き出すとこれだ。
でも水面から上はこんなにいい陽気なのに水ン中はまだ立春を迎えていないようだ。
時折木の枝から虫が飛び立つが、まだ率先して水面を滑空するほどではない。

ニンフを使い続けているが、ドライを流したくなる場所が出てくる。で、ドライに付け替えるとやはり無反応・・。
朝のやりとりのこともあるし、やはりニンフか、とまた付け替える。

今日は水量の多い本筋から一番目の支流を更に避けて、支流の支流に入った。そこはその川筋に集落が点在し、谷あいのわずかな土地に田畑を作っている。
川は小さく細く、緩やかに流れている。
僕のうちから約200Km、
直線距離では50Kmしかない。
ようやくドライフライの出番。
キャスティングは楽です。
この日乱舞するそのほとんどがこの黒いトビケラ。
また極上のプールが現れた。と、ライズしたように見えた。うむむ、ドライにするか?
この日何回目か? またまたフライを付け替える。そして流し、沈黙・・。
なんとなくわかっていたが、やはりドライで流してみないと気が済まない。

またまたまた、ニンフに付け替えようと6Xのティペットを引っ張り出す。
「!」
なんとひとひろ引っ張り出したら、そのスプールは空になってしまった。あとはもっと細いティペットしかない。
こんなプールはドライも流したいし、ニンフも流したい。
平らな流れが続き、たまにあるプールを除けばほとんどがドライフライにうってつけの流れだ。
そんな中を重たいニンフを川底の石に引っ掛けながら釣り上がる。
次ティペットを交換したなら、もうニンフは結べない。しかしドライが効果的な状況はまだやってこない。

しばし休憩。土手でふきのとうを探す。とっくにとうの立ったものしか目に付かない。ここは標高は低く、時期を逃してしまったか。
前回のような花粉の影響も今日はない。春先特有の午後の強風もまだだ。

さて、釣り再開。
ロッドを振る手を止めて、ライズを待つ。
目の前を虫がかすめ飛んでいった。 朝からちっとは見かけていた黒いカディスだ。それはそうなのだが、違う。明らかに朝よりも数が多い。上流からはもっと大型の虫が飛んできている。卵塊をつけた大型のかげろうだ。やたら目立つ。水面を滑空する虫も増えてきた。ストーンフライも石にへばりついている。
そして極め付け、前方の流れでライズだ。またライズ、また、そしてまた。
ほんの短い時間のうちにやたら賑やかになってきた。もう、ティペットを気にする必要はなくなった。遠慮せずフライ交換をすることにしよう。
すぐ隣で農家のおじさんがトラクターで土おこしを始めた。畑は川の対岸にあり、奥さんは板を一枚渡した心細い橋を器用に渡っていく。
家のすぐ横には立派なお墓がある。こんな山里で目にするのは道路と民家とお墓だ。一軒にひとつ、並んである。そして必ず新しい花が添えられて。

まるで人の家の敷地内に居るようなので、少なめにフォルスキャスト。
少し風が出てきた。わっと虫たちが岸辺から飛び立ち、フライは流心を外れたところに落ち、トラクターのエンジン音がうなりを上げ小さな山里に響いた。

今年のヤマメはさびた魚体ばかり。年越しモノか。
風は強くなってきたがハッチは止まらない。一斉に水面から草むらから虫たちが飛び立っていく。
僕は狭い村道を川筋をたどって歩いていた。珍しくライズだけを釣ろうと思ったのだ。
道路からたまたまその時見ながら歩いているだけなのに、2,3ライズを見つけた。しかしこいつがなかなかシブイ。
掛けたりバラしたりで、それからまた道に上がり、ライズを探して歩く。

川を釣り上がるよりは疲れないが、川を見ているだけだとだんだん眠たくなってくる。
また風が止み、虫の群飛が午後の斜光に浮かび上がる。
僕は橋の欄干にもたれ、眼下のライズを眺めながらまどろみ始めた。
川を見ているうちに、周りの風景にやんわりと包まれていく。