「こんな日に行かにゃあ」
工房を訪れた僕の顔を見るなりバンブーロッドビルダーのM川氏はそう言った。
「霧に煙った中で釣らにゃあ。」
「いやあ、天気予報に裏切られました」
前夜の予報ではこの日は雨だった。朝の濃霧は南部だけのようだが、雨は落ちてこない。
「明日行ってみようかなあ。一日くもりみたいだし」
M川氏は笑っていた。悩ましいこの季節の釣り場選び。天気はともかく僕の決めかねていることがわかっているようだ。
数年振りのモンカゲロウ様との再会。
なんと彼は羽化失敗で瀕死の状態(!?)
次の日行き先を決め切れないまま高速に乗った。すぐに雨が落ち出した。二日続けて天気予報に裏切られた。
インターチェンジを降りても雨は止まない。なるたけ西へ向かえば止むのではないかと思い、県境を越えた。

霧が沸き立つ谷あいに車を入れた。昔よく通った谷だが、増水の時の方がコンディションが良い谷だった。
ささ濁りの流れに立つとすぐにライズを見つけた。
こいつは幸先がいい。
川筋に沿うように霧が沸き立っている。
釣り人の隠れみのに使えるだろうか?
増水の瀬にフライを流すと、いっぱつで出た。ぐるぐると水中で抵抗する感触が伝わってくるが、あまり大きくない。ラインをたぐり寄せているとなんだか手応えがないと思っていたら、いつの間にかハリが外れていた。掛かっているか外れているかがよくわからないくらいの魚だったということか。
細かな雨が風に揺らされて斜めに落ちている。川筋を霧のかたまりが風に押されて流れてくる。
久しぶりではあるが見慣れた風景の川のはずなのに、なんだかずいぶんと雰囲気が違っていた。こんなふうに知っている川が知らない風景に見えるなら、なんだかすごい魚が釣れそーな気がするが、きっと気のせいだ。
いつもならカッパを着ることもうっとおしく思うのだが、不思議な感覚が紛らわせてくれていた。
割と開けた川だが、その川幅いっぱいにクモの巣が張ってある。
そのクモの糸に水滴がイルミネーションのように並んでくっついている。
時にはそのイルミネーションをくぐり、時にはまたぎ、はたまたラインにべっとりひっつけたり。
クモの巣には思ったほどカゲロウとかは捕まっていなかった。この季節は朝夕にハッチが集中するが、この日は霧雨がハッチに影響したのだろうか?
目の前をなにかが飛んで行った。
ハエかな?
高湿度につつまれるとカッパは意味をなさないようです。
少し歩くと中くらいのプールが現れた。手前から少しずつ奥へ向かってフライを投げ入れた。流れ込みのあたりに投げた時、魚体が水中をうねった。いや、水面か? 
気が付くと水中でパーマークがきらめいていた。そのヤマメはまるで霧の中から現れたような気がした。
妙に現実感のない霧のヤマメをリリースして、ふと足元を見ると黄色の大型のカゲロウが浮いていた。
フタスジモンカゲロウだ。実に四年ぶりに目にした。
霧のヤマメ。自らその存在を隠しているのかも知れない。
以前見たものはフタスジではないほうのモンカゲロウだった。
その時は始めてみるモンカゲロウの集中羽化に出くわし、釣果よりもそのスーパーハッチに右往左往してしまった。きっと年に数日しかないその連続ハッチは、この先もう目にすることはないだろう。
この日流下してきたフタスジモンカゲロウはまだ翔べるかも知れない。僕はそのモンカゲロウを指ですくい上げ、水辺の石の上に乗せた。
しばらく見ていると、彼はひょこひょこと歩き出した。そのままだとまた川に落ちてしまいそうだったから、もうひとつ石を彼の進行方向に置いた。また細かな雨が落ちてきた。彼はふたつの石の間に体をもぐり込ませた。水面羽化の彼も雨宿りはするようだ。
一匹釣ったっきりで反応は途絶えた。フライはグリズリーのハックルにグレーのボディ。真っ黒なテレストリアルの少し手前のイメージのパラシュートだった。急に閃いた。確かシマザキウィングを使ったモンカゲロウパターンがあったはずだ。僕はポケットのフライボックスの大捜索を始めた。
だがモンカゲパターンは見つからなかった。こうなると、モンカゲなら釣れる気がしてならない。というか、モンカゲでないとヤマメは一切釣れないような気さえしてきた。
そして釣れないまま川通しで進めないところまで来た。
増水で通せなければ潔く引き返します。
ああ、でもたいぎいなあ〜。
上の県道へは上がることが出来ず、川を下って戻った。
途中さっきのフタスジモンカゲの石を見てみたが、彼はいなくなっていた。
途中の支流の薮を無理やりかき分け、県道へ出た。雨はすっかり上がっていた。
別の場所へ移動しようかどうしようか迷ったが一旦は車まで戻った。
バックドアを開けた時、フロアマットにへばりついているクズのようなものが目に入った。
フックが赤茶に錆びたモンカゲパターンだった。
結局出番はないままで、お蔵入りのようです。
なんでこんなところに落ちていて、しかも錆びていたのかはわからない。
もしモンカゲパターンを使っていたらもっと釣れていただろうか。
あのフタスジモンカゲロウはもう一度翔べたのだろうか。

M川氏にメールした。
《二日続けて天気予報に裏切られました。でも霧で煙った川の釣りも、いつもと違った感覚で新鮮でした。今度モンカゲパターン巻いて一緒にあの川へ行きましょう》
釣り終わって車に戻る時は、意気揚々と歩きたいものですな。