手に風圧を感じた。
風が気持ちいいわい〜と思っていたら、アブが手の横で羽ばたいて空中停止している。あっちいけ、しっし。
晴れの予報は外れたのか? 厚い雲が上空を覆っている。
アブの扇風機はアテにはならんが、川筋を風が吹き抜けていくと、それほど不快ではない。
連日最高気温の更新が続いている。山でも日なたは街と変わらない。雲が日差しを遮ってくれているうちに、一匹押さえておきたい。ティペットをぐいと引っ張ると、プツッと切れた。
朝のうちはシャッタースピードが遅くなってブレるくらいの光量だったが・・・。
まず目の前に立ちふさがったのはクモの巣だった。なかなかのポイントの上に一本、右から左に張られている。
ポイントはそのまだ先だから、またいで落とせばなんとかなりそうだった。
一番いいポイントへクモの糸をまたいでキャストした。するとフライは空中で止まった。
(もう一本クモの糸があるのか)
二本目の糸もまたいでキャスト。するとフライは空中で止まった。
(??)
偏光グラスを外して見た。クモの糸は二本どころではなかった。宝石を怪盗から守るレーザーのように縦横無尽に張り巡らされている。ポイントへフライを着水させるのは不可能に思えた。

そこはパスして上流へ向かった。まだ雲は分厚く上空にある。しかし徐々に蒸し暑さがズシッと重くのしかかってくるような、空気が凪いでいる感じがしてきた。
水量はまだ梅雨の名残の多さを留めていた。
クモの巣の張り具合の密度には偏りがあるようだった。
ほとんどクモの巣が張っていなくて遠慮なくキャスティングできる場所もある。そういう所はクモが糸を張りにくいのか、餌になる虫がかかりにくい場所なのか?
目の前をしつこくブヨが飛んでいる。思うにクモの巣にブヨが捕まっているのはあんまり見たことがないなあ。小さなミッジのような虫が絡まっているのは見たことがあるが、なんかブヨはそんなヘマはしないような気がする。
ふいにセミの鳴き声が耳につき出した。クマゼミか。そういえばこの日は朝起きた時からセミが鳴いていた。いつの間にかそんな季節になっていた。
いつの間にか空は晴れ渡り、ジージーとセミがうるさいくらいに鳴く中で、だんだんじっとり汗をかきながらロッドを振った。ジージーという鳴き声が、それを聞くだけで暑苦しい。発汗を促す鳴き声に聞こえる。

渓畔林の一番近い所で何匹ものセミが鳴くと、うるさいなんていうもんじゃない。夏が来たという告知のつもりか? セミは腹の中に発音器官があるらしいが、これだけ空気を振動させるのだから、分子の衝突で熱が発生して、それで暑いンじゃないのか?
フタオカゲロウの仲間の脱皮殻。
えらいみんな揃って羽化したもんですな〜。
やぶかんぞうは日差しが強烈であるほど、その色を鮮やかにする。 緑のシールドが日を照り返す。
頼もしい自然の日傘。
沈み石の続く細い流れの前に来た時、いきなりウグイスが鳴き出した。
春のイメージがあるが、ウグイスが鳴くのは春だけではない。夏の終わりまでは鳴き声が聞かれるのは普通のようだ。
とは言っても解禁から川に出向く釣り人としては季節のイメージは大事だ。ウグイスはやっぱり春だ。それがこの暑い季節に鳴いている。どうしても違和感があるなあ。

沈み石の流れは思ったよりも水深があるようだった。一番いい筋に最初に落とした。フライよりも手前のラインが先に流れていく。瞬く間にドラグがかかるその直前、追い食いのようにヤマメが飛び出した。
ロッドをあおり、暴れるラインを掴んでたぐった。ネットを差し出す間もなくヤマメは流れに乗って下っていく。
慌てて追いかけようやくネットですくった時、一瞬遠のいていた川の水音とセミとウグイスの鳴き声がまた始まった。
渓のBGMはお気に召したでしょうか、
ヤマメ様?
日差しは容赦なく降り注ぎ、もはや逃れる木陰もなくなった。セミの声は遠くでかすかにジージー聞こえるだけになった。
クモの巣もその鋭い切っ先で次々とティペットを切り刻んでくれる。いくつフライをなくしたことか。
ウグイスとセミの合唱にノッて釣ったヤマメ以降、魚の気配すらしなくなった。風もやみ、リズムが止まってしまった。
気が付くとまたティペットがクモの糸を引きずっている。もう取り除くのも面倒くさくなってきた。

左からゆるくカーブして流れているプールに行き着いた。
急に日が陰り微風が吹いた。そしてそれを待っていたかのようにヒグラシが鳴き始めた。
ヒグラシの鳴き方はなにか感傷的に聞こえ、この日の釣りの終わりを告げているようにも思えた。
カーブのプールでライズした。ヤマメに感傷は関係ない。ヒグラシが一層大きく鳴き始めた。
渓のコンサート会場に観客はひとりです。