渓の春はなかなか訪れない。
暖冬からそのまま暖かくなりきってしまうかと思えば、四月に入ってからの寒気の襲来で北部の標高の高いエリアは白く雪をまとった。
季節の進行が進んだり後戻りしたりで山の木々も混乱しているようだ。
桜の開花も地域や木一本一本でばらつきがあるようで、同じエリアに満開の木もあれば散って葉桜の木もあったりする。
こんな混乱の季節に僕が選んだ釣行先は「椿の谷」だった。
ボトリと花ごと落ちる椿。一年のうちで一番派手な流下物だ。
渓流沿いに椿の木が生えている川にくるとある疑問が頭をもたげる。
この季節、流れの中に沈んだり流れに乗って下ってくる椿の花を見かける。
椿は花びらが一枚一枚散るのではなく花ひとつのかたまりがボトリと落ちる。渓流沿いの椿の木は、まるで花を流れの中に落とそうとしているかのようだ。なぜ椿は花をいっぺんに、しかも水の中に落とすのか。
たまたま水辺に生えている木だからそうなのだろうか。やっぱりそうかなあ。しかし流れの中の花のかたまりはやたら目立つ。
高低差のない山里の小渓流。陽当たりも良好です。
午前中はまだ気温も水温も低く、フリースのベストを下に着込んで、ウィンドブレーカー、フライベストという重装備で渓に立つ。
ユスリカのような極小の虫しか見えず、魚のフライへの出方も実に渋い。時折陽が射しウグイスや例によって名前のわからない鳥だけが元気良く鳴いている。
そしてまた目の前で椿の赤い花が落ちて流されていく。
山の木々はまだ葉が伸びていないものが多いが、椿だけは彩りが賑やかだ。
後半はクロタニガワのハッチに合わせてクイルゴードンを結んだ。
谷あいのフラットな流れの続くこの川は、集落が点在していてなんとものどかな場所だ。
いくつかの家は庭先にいろんな花を植えている。春に咲く花が多いようで、それが目を引く。
山の斜面には山桜が花を散らしている。風が吹くと流れにも桜の花びらが落ちて流れてくる。賢いヤマメは桜の花びらにライズするヘマはしないが、一緒に流れる僕のフライに食いつくヘマもしないようだ。
ヤマメの姿は見られないまま上流へ向かうと、川土手に紅梅や菜の花が咲いているのも見えてきた。
この季節のこの川筋は彩りが華やかになる。山の木々もわずかに新芽が出ているものもあり、その薄緑色が更にカラフルさに加わってくる。
薄桃色の梅。一番春らしい色合い。 黄色の花は多いが、やはり菜の花ならどこにでも顔を出している。
昼が近くなってくると気温の上昇とともになにやら騒がしくなってきた。
足元を見るとクロタニガワカゲロウのスピナーがいつの間にやらわんさか石に止まっている。
クロタニガワはマエグロと見た目は酷似しているが、水面羽化をする点がマエグロと異なる。
すでにこれだけスピナーが出ているということは、ニンフからダンへのハッチのピーク時間は過ぎているのか。
しかし、ここまでひとつのライズも見ていない。
川の中の魚の絶対数の少なさが頭をかすめた。
スクランブル体制の戦闘機をイメージさせる。
椿の谷はクロタニガワの川でもあった。 やっぱ魚は水の下の生き物ですわ(^_^)
人なつっこいクロタニガワカゲロウはキャスティングの合間合間に僕の手にも止まってくる。
餌となるカゲロウはこんなにも豊富なのに、とにかく魚の気配がない。
いくらあたりが春の花々で華やかでも、カゲロウが飛び交っていても、やっぱり主役の魚が出ないでは話にならない。
クロタニガワに合わせたクイルゴードンでようやく顔を見せたヤマメはゴギと見まがうほどやせ細っていた。
がんばって虫達を食べてこれから太りなさい。
まるでゴギのようなやせ細ったヤマメ(x_x)ゞ
今日はこんなもんだろうと川から上がろうと斜面に取りつくと、可憐でかわいらしい山野草が花をつけていた。
青紫のこぶりの花は、しかしこれまた名前がわからない。
でもこれでまたこの谷に鮮やかな色が加えられ、彩りで溢れる春の谷となった。
歩いて車まで戻っていくと、途中の家々の庭先にはやっぱり花が咲いていた。
季節の移ろいをその季節の色で感じるのは、実はごくごくあたりまえのことで、僕はそれを忘れてしまっていた。

車まで戻ると、水辺から離れているのにクロタニガワが飛んできて僕の手に止まった。
少し薮をかき分けてこの日入渓したあたりの川の流れをのぞき込んでみると、ようやく良い時間帯になったのか、最初にロッドを振ったプールでライズがひとつふたつ始まっていた。
川に覆いかぶさる椿の木の下で。