「全然ダメです〜」とT君が下から言った。
ここに来る前にもT君はほかの釣り仲間に会っていて、やはり反応がかんばしくなかったという。
この日出遅れた僕は、偶然会ったT君からそんな話を聞いたが、逆に落ち着いた。それならしっかり腰を据えて良さそうな川を吟味しよう。
粘るT君に健闘を祈り、僕はそこから下った支流の谷へ向かった。
T君の情報を聞いたからと言って結局行き先は変えないのだが、連休明けからかなり釣りが厳しくなっていることは心しておかねばなるまい。
春先に会ったT君。この日もまたまた遭遇。
支流沿いの林道には車は停まっていなかった。かなり奥まで進み、途中の広場に車を入れた。ここにも先行者の車はない。
そそくさと支度を済ませ斜面の草むらを降りようとした。するとそこには実にはっきりとした踏み跡が道を残していた。
かなり緑が濃くなっている。時間が経っているからすでに結構暑い。
ついさっきのT君の話はもう頭になく、川の流れを見ただけで期待が増幅していく。
でも一投目は何事も起こらなかった。まあ最初はこんなもんだろう。
遅れて入った谷には誰もいなかった。
しばらく釣り上がったが魚は全く出てこなかった。ピシャリともしない。
走る影でもみえればまだ可能性を託せるのだがそれさえも見えない。
木陰に座っておにぎりを食べながら場所変えを考えた。ただこの支流は奥が深く、林道を使ってもっと上流へ移動するだけでも状況が変わるかもしれない。
一度林道へ上がり川沿いを歩いてみたが、木々に覆われた川はちらちらとしか見えなかった。

少し歩くと川が見えた。降りれそうかと土手をのぞくと、またしてもはっきりした踏み跡があった。
うむむ、これは全く過去の釣り人と同じパターンで同じところを釣っているということか。ただこの先はまた林道と川が離れるのでここから降りるしかない。
気分をリセットするため、リーダーとティペットをやり変えた。フライも今年初めてテレストリアルパターンを結んだ。
静かな谷にシンプルなオブジェ。
アントパラシュートを投げると超高速で魚が出た。合わせたが空振り。しかしこれでやっと反応を見れた。
だいたいここまでよくもまあこれだけ魚の気配がなかったものだ。これだけ釣れないでい続けるのもやろうと思って出来るものではない。
場所とフライを変えて流れも変わった気がした。
少し行くと小ぶりのプールがあった。一瞬、一投目で一番いいところに落とそうと閃いた。
手前の開きをパスしてど真ん中へ放り込んだ。フライはスッと消えた。
一息入れて。休憩も戦略のうちです。
なんだ?という感じでロッドをあおると掛かっている。しかもでかい。
水中でぐりぐり首を振っているのがわかる。僕はこのぐりぐりに弱い。こんな暴れ方をされて過去に何匹の良型のヤマメやゴギをバラしたことか。
「!?」 ロッドが軽くなった。バレた。頭が真っ白になった。
なんということか。バレると思った瞬間にバレた。そう思う心の弱さが相手に伝わったのか?
後悔しても始まらないが、もっと強気で攻めの寄せをするべきだったろうか。ここまで一匹も魚の手応えがなかった。ようやくの一匹があのサイズでこのざまか。がっくりきた。
気を取り直して更に上流へ向かう。
小さな岩の陰にフライが流れた時水飛沫が上がった。
合わせると小さな手応え。くくっと引くがさっきのヤツはこんなものじゃなかった。
と思っているとバレた。ヤッパシ、そうとう引きずってるな。
しかしどうもこれじゃあ今シーズン初のボウズの公算が濃厚になってきた。
毎年一回はこういう日がやってくるがそれでもなんとか回避できたこともあった。でも今回だけは避けられないか?
アントだけでなくニンフまで引っ張り出して攻める。
時計をちょくちょく見るようになった。何時をタイムリミットと決めている訳ではないが、こんな奥深い谷で遅くまで釣りはできない。
そのあともいくつか魚は出たが掛からない。掛かってもバレる。
あきらかにいつもの釣りとリズムが違った。焦っていた。追いつめられたような気分に苛ついてもいた。
気温は上がりじっとりと汗が吹き出し、シャツをべっとりぬらす。ブヨも虫よけが効かず目の前を飛び回っている。
こんなことをしてて何が楽しいんだ?
追いつめられた釣りには余裕がない。楽しさも。
不意に屏風岩の壁が目の前に立ち塞がった。
僕はここがこの日の最後のポイントだと悟った。
屏風岩の手前に平たいプール。岩の直下に小岩があり、その左右が好ポイントになっている。
最後のチャンスに望みを託す。ティペットをぐいと引っ張る。切れない。フライにまとわりついたクモの巣を丁寧に取り除き、フロータントを薄く塗る。
まずは小岩の左の流れにキャスト。岩の向こうに落ちたフライは左の流れにスルッと出てきた。
すぐに水が動いた。ロッドをあおると一気に持っていかれた。でかい、さっきのよりも明らかに。
こらえてラインを手繰ると小岩の手前に出てきた。黒い魚影が走る。やっぱりでかい。
ロッドがぐいぐいしなる。魚がぐりぐり首を振っている。ヤバい。しかし今度は逃がさん。
こらえるようにためるようにロッドを保持しラインを手繰る。
プッと軽くなった。「!!」
ま、またバレた。ウソだろー!!!
水中でそいつは魚体を二度三度くねらせ小岩の先に消えていった。
さて、この悔しさどうしてくれよう。
信じられない。失意のまま小岩の右のポイントへ投げた。
また出た。反射的に合わせるとコツッという感触を残してラインは宙を待った。合わせ切れだ。最悪だ。
もうどうすることも出来ない。バカな釣り師は釣り方を忘れてしまったようだ。
プールをザブザブ歩いて、もう一度左のポイントへ投げた。フライは沈み、それをフッと魚影がくわえた。
あとはもう必死だった。じたばたしてようやくネットに入ったゴギはスレで掛かっていた。
T君、こりゃあヒドイ釣りです。
疲れた。腹減った。温泉でも行くか〜。