「この上流をずっと釣り上がられますか?」
「いや、この先にある堰堤までにしようと思ってますよ」
「じゃあ堰堤の上へ入らせてもらっていいですか?」
するとその餌釣り師の人は穏やかに笑って、どうぞどうぞと上流へ手を向けた。
これでようやくこの日の釣り場が決まった。かなり手前にあった車がこの人の車だろう。
渓はサカキや大葉麻殻の花が木から落ち始める頃だ。
サカキの花がぱらぱらと落ちてくる、その流れのゴギ。
堰堤の上は最初に降りたら林道が離れてしまうので、当分は道に上がれない。次に林道が近づくまで釣り上がるしかない。
脱出場所は見当がついているので、心配はない。まるで緑に埋もれてしまっているかのような渓へ降りた。
細い流れが緑の隙間からようやく見えた。果たしてこのあたりは解禁から今までどれだけの人が入渓しているだろうか。険しい谷だからといって釣り人を寄せ付けない、という訳にはいかない。
一投目でちびゴギが飛び出した。
どうやらいらぬ心配だったか。
深い緑に埋まる谷。確かに川は流れている。
ダメージを負ったカワゲラ。その様子はテレストリアルっぽくもある。 スリム系の名も知らぬカゲロウ。
サイズはモンカゲロウ級。
水生昆虫の飛ぶ姿はあまり見えなかった。最初に結んだフライはオリーブ系のパラシュートだったが、果たしてどうしたものか。
梅雨入り宣言後の晴れの週末。心情的にはテレストリアルパターンを出したいところだ。陸生昆虫はすでにゴギの胃袋にはかなり入っているはずだ。
一匹釣って好調のはずのオリーブパラシュートをやめて、ムネアカオオアリのパターンに結び変えた。
フライフィッシングは気分が大事だ。
自信を持って結んだフライはきっと良い結果をもたらしてくれるに違いない。
前回のひどい釣果を引きずるまいと、気分や雰囲気にまで気をつけている訳ではないが・・・、いや、気にしているかな。
その証拠に今結んだアントはバーブのあるフックを使っている。
釣り仲間のYにバラしまくった話をしたら、マイクロバーブのフックを教えてくれた。そのフックは発売になってすぐに買っていたが、ほとんど巻いていなかった。
それを取り出して早速3本ほど、アントパターンを巻いて来たのだ。
カエシのある針を釣りで使った記憶はあるような気がするが、数えるほどだと思う。
この川で唯一開けた場所。あとは空が少ししか見えないくらいに木がかぶさっている。
林道はどこにあるか木が茂っていて見えない。目の前には王道のゴギポイントが続く。これはイケると直感した。
ゴギポイントでは間違いなくゴギが出た。そしてバレない。カエシのあるフックって実際すごいなあ。
あれよあれよと言う間に二桁釣って、ひと休み。
魚影の濃さは入渓者の絶対数の少なさを証明していた。ただ川の規模の小ささに比例したかのようなサイズしか釣れない。ポイントも小さな溜まりのような所が連続している。
バレなくなったら次はサイズだ。次々と欲が出てきてしまう。
サカキは下向きにつり下がるように花をつける。
水辺に落ちた花びらは渓を飾っているようだ。
実にストレスなくフライに出るゴギ。 川の筋が見えない。かろうじて源流の山が遥か先に見えている。
グンっとロッドに抵抗がかかる。フライが木の枝に引っ掛かった。
どうやっても取れそうもないので、ティペットを引っ張って切った。3つ目だ。これでカエシのあるフライは全部なくなってしまった。
そうなるとバーブレスフックを使うしかない。それしかないなら腹も決まる。
バーブレスのアントをキャスト。また一発で出る。それまでと何も変わらないかのように寄せてキャッチ。
ネットですくうとフックは外れていた。
確かにこんなに簡単に外れるなら、大物のパワフルな抵抗で外れる可能性はあるのかも知れないなあ。
ただ、かなりの大物ゴギをバーブレスで釣ったことも確かにある。
掛かりがしっかりしていればパワフル抵抗にも耐えられるはずだ。
逆にカエシのあるフックでもバレることだってあるのだし。
だが僕はバラしたらフックのせいにしてしまっている。その前にもっと釣り方で修正すべき点があることを忘れていた。
これからタイイングするのにどんなフックを使おうか決めかねている。
と、またアントにゴギが飛びついた。渓にいるときにはうだうだ考え事なんてやめよう。
釣りに来たのなら釣りをせねばね。
くたくたにくたびれるまで使ったアント。
これはバーブレスです。