シンプルである。パソコンを使う時は片づけるそうだが、これなら苦になるまい。
フライフィッシング歴はまだそう長くないR氏は、しかし周りにいる錬磨のフライマンの影響を色濃く受けて、釣りそのものもタイイングもかなりの結果を出す実力を備えている。春先のある日、同じ日に渓流と海のフライフィッシングのダブルヘッダーを容易にこなすバイタリティを見せるR氏は、まだフライ経験が浅いとは到底思えない。
整然と格納されたMaterials。フライ関係の雑誌も見えます。
使用頻度の低いマテリアルなどは押し入れにしまっていて、頻度の高いマテリアルは机の上の廃材で作ったリサイクルエコ棚に置いておくようにしているようだ。
全体を照らすライトと、手元のスポット証明など、明かりにもかなり神経を使っているのがわかる。
前回のT氏の机は日常生活用の机と兼用されている色が出ていたが、今回のR氏の机は生活と、というよりも仕事との兼用っぽさを感じる。常時タイイング道具で机を占有させないスタイルは、きっと「今どき」なのかも知れない。
R氏の部屋もご多分に漏れず、ロッドケースの林(forest )が出来てます。
ふと思い返してみるに、私がフライを始めた頃は同じように熱くフライにのめり込んでいた顔なじみの人達がたくさんいた。
何年かはそういった顔ぶれが週末のフライショップを賑わしていたのだが、いつの間にかその常連さん達がひとり、ふたりと顔を見せなくなって行った。
仕事や身辺のいろんな事情は誰にだってある。常にシーズン中何十回も釣りに行ける日々がいつまでも続くとは、きっと誰も思っていない。
自分の意志と別のところでフライフィッシングから離れてしまう事を余儀なくされることは往々にしてある。
机の表情は本棚同様その人の人となりを現すようだ。
そんな釣り師を取り巻く事情でさえ季節の移ろいには準じるしかなく、また春が巡ってくる。そのステージでロッドを振る顔はひょっとしたら去年とは違っているかも知れない。また新しい風が吹き、新たな芽吹きが始まる。
事実、最近の週末のショップにはエネルギッシュなオーラを放つ見慣れない顔がある。きっと川を取り巻く生態系の、巡る生命の循環輪にはフライマンも組み込まれているのだ。
R氏のそれでもやはりの初々しさを残すタイイングデスクを見ているうちに、そんな事を考えてしまった。