其の二百九  釣りと川の遍歴
今年は釣行回数が少なかったので未練が残ると言えば、そうかな。だからと言って来年の解禁を心待ちにするにはちょっと早過ぎる。
こんなぽっかり時間の穴が空いたような時期には、なぜだかフライフィッシングを始めたころの事を思い出す。
以前にも書いたことがあるが、フライを始めたころの印象の強さはその時だけのもので、十数年やっていれば最初の鮮烈な印象深さは薄れてきてしまう。
しかしその頃のことを思い出すことはできる。あれだけ夢中になった時のことを。
しばらくお休みの道具たち。
いや、タイイングしてもいいんだけどね。
もちろん釣りはフライが初めてではなかった。一番最初はと言えば、故郷の川で鮒を釣ったのが最初だったように思う。まだ小学生だったなあ。面白いようにたくさんの鮒が釣れた。
でもその川は今は葦に埋もれて見る影もないが。
それからは実家の近所のため池や川で釣りを続けていた。魚は銀鮒が多かったように覚えている。
そして何年もの間ぱったりと釣りから遠ざかった。
ふたたび釣り竿を手にするのは30歳を過ぎてからだった。最初は餌釣りで、川虫をとっては餌にしてアマゴを狙った。その時はウエーダーも持っておらず、スニーカーにジーパンで川に降りていった。初めて釣ったアマゴはぷりぷりに太っていてきれいなパーマークがまぶしかった。
その年のうちにルアーロッドを買い、川もあちこちを地図を頼りに釣り歩くようになった。この頃ようやくウエーダーとシューズを買った。
ルアーの翌年にはフライの道具を買った。そして十数年この釣りを続けている訳だ。
今釣りに行く川もルアー時代にいろいろ情報を得て開拓した川が半分くらいは占めている。
ルアーで行っていた当時と今とでは同じ川でもかなり様子は変わっている。
山は木が切られ川は埋まり水は全体的に少なくなった感じだ。
フライを始めた時の印象の強さは、フライの釣りのシステムやいろんな道具、タイイングの面白さだけでなく、川の様子の新鮮さもあったからだろう。
川から見る風景が当たり前になったのは釣りを始めてから。
釣りを始めるまでは道路から川を見ることはあっても川から周りの風景を見ることなんてほとんどなかった。
初めての川へ降りた時、その新しい風景に気持ちは昂ぶり釣りへの期待も高まる。町の生活での風景とは真逆の様子は新鮮で、それに釣りの刺激が加わわるのだから強く印象に残るのは当たり前なのかも知れない。
そして時間が経ち、川からの風景は見慣れてきて、しかもその風景は徐々に釣りの条件としては悪いほうへ変化していく。釣りもだんだん慣れてきて、始めた頃の鮮烈な刺激は薄れてきた。
今年は釣行回数が少ない分、向かう川選びには慎重になった。そして夏に行った川はルアー時代に行っていた川で、梅雨明けの増水やそのあとの渇水に苦戦はしたが、少しだけ釣りを始めた頃のドキドキする感じが戻ってきたように思えた。
釣りに行く回数を減らせば新鮮さが戻るっていう訳じゃないだろうが、釣りに行くその一度の時間を実はもっともっと楽しめるのではないかと、釣りに行けない禁漁の週末にはついそんなことを考えてしまう。