その5  フライロッドの仕舞い寸法の話など
矢口高雄さんの「釣りキチ三平」の中で魚紳さんが若いヒッピーみたいな連中とケンカをする場面(第七章 磯の王者 だったかな?)で「ケンカに使うものじゃないが」と言いながら買ったばかりの磯竿を取り出す。そしてその時のセリフに「仕舞い寸法の手ごろななかなかいい竿だ」というのがあった。
書いててなんだか懐かしく思い返しました。小学校の頃になるか?単行本でならもう少しあとに読んだんだろうけど、後にも先にも「仕舞い寸法」という言葉を目に(耳に)したのはこれ一回きり。それなのに釣り竿の「仕舞い寸法」にはその釣り竿そのものの核心に近いものが現れているような感覚が、自分で釣り竿を買うようになってからずっとつきまとっている。
よく使うロッドのケース。継ぎ手数にもよるが長さは様々。
当然フライロッドは継いでラインを通して振ってなんぼのものだけど、釣りに出掛ける朝、荷物を手に取る時はロッドはしまわれた状態で、それを持つ時その日の釣りの始まりを釣り人は確信する(って誰が決めたの?)。
でもフライロッドをロッドケースに入った状態で手に持つと、その日の釣りの期待感も相まってなんかどきどきしませんか? 
3ピースロッドのラインナップが各ロッドメーカーに定着した感があるが、当然ロッドケースは継ぎ手数に反比例して短くなる。フライを始めた当初は2ピースがほとんどで、7フィートでもケースは1メートルちょっとある。当時はそれしか知らないから特にはなんとも思わなかったのだが、何年前だったか、SAGE社の3ピースロッド(SPLシリーズ)を購入した時、やおら魚紳さんのセリフがよみがえった。
手に馴染むとか、しっくりくる、というのはこういうことを言うのだろう。82cmのロッドケースは持つほどに自分に同調してくるように思えた。
気に入っているロッドはケースに仕舞った状態も気に入っている。その心地良さはロッドの本分である釣り以外のところでも所有する優越感・満足度を味わえ、悦に入ることが出来る。
7フィート3インチ3ピース
でも例えばみなさんは本を買う時、何で決めますか? 雑誌の寸評や好みの筆者とかジャンルとか。中身の大まかな情報が無い場合、でも偶然手に取る本はどうやってそれを選びますか? 僕の場合、それは表紙だったりタイトルだったり装丁だったり、そしてそれらの合わせ技の背表紙だったりします。
絶対とは言えないけれど、表紙やタイトルの良い本は中身も良いです。それは仕舞い寸法のしっくりくるロッドに似ている。良いロッドは仕舞い寸法も良い。もちろん店でケースに仕舞ってある状態で置いてあるロッドを見て即購入、っていう経験はまだないし、ロッドの購入は少なしラインは通さないまでも継いでみることはまずするし、それでロッドそのもののクオリティの確認はする訳で、この事は本を選ぶ場合は確認が難しい領域ではあるのだが、それは価格の差による「冒険してもいいか」度の差を考えるといたしかたない確認領域ではあると思うのです。
とどのつまり、良いものは本にしろ釣り竿にしろ、微に入り細に入り気に入ってしまうっていう事かなぁ。
などとあれこれ書いてはみたが、実際のところ去年の夏に買ったロッド(TIEMCOM社のIota、ワンピースロッドである)が結構気に入っている。釣りでの使用感はかなりよくロッドケースも細身のチューブがかっこいいけれど、ケースの長さはしっくりくるもへったくれもない。階段を降りる時よその部屋にがっつんがっつんぶつけてます。ちょっとこれは特殊な例ですな(持ってる人いますか?)。
ホントに入るの?