其の五十  水辺の近況 「一瞬のパーマーク」
週末になるたびに台風が来たり前線が活発になったりで、そりゃ禁漁になったのだからどのみち釣りには行かないんだけど、もうちょっと気持ち良い天気にならないかなーって思ってたら、なった。じゃあ出掛けるか。

前の日には雹(ひょう)が降ったという山間部を抜けて、川伝いに下って行くうちに陽はかなり高くなってきた。
朝は冷え込むが日中はまだバリバリ暑い。紅葉には早いが、秋のハッチやライズは見れるんじゃないだろうか?という目論みも早速狂い始めた感がある。
「魚とび」? こりゃ間違いなくライズのことでしょ!
実際相当雨は降っていたらしく、平水よりはかなり水は多そうだった。
釣りシーズン中だと「もう散々攻められて、1匹も残ってやしないだろうなぁ」って見過ごすポイントも禁漁期間だと生き生きとしているように見える。
(なんか今、ドライフライを投げたらでかいのがでそうだなぁ)なんて思ってしまう。
いかんいかん、今は禁漁中なのだ、と思いながらエルクヘアカディスに似た草の実を千切って投げる行為はきっとごくごく自然なものだ(?)。

とにかく久々の晴天に、久々の渓の様子。なにかしら気分も浮かれている。
釣りをする訳ではないのだが、やっぱり川まで来てみると気分がいいですな。一日にどれだけの水が流れて行くのかわからないけど、常に流れ続けているその一瞬のその一抹の一コマを見る事は、人によっては何でもない事だったり逆に特別な事だったりする。
川が縦にきれいに日なたと日陰にわかれている。
さて、ライズはないものかと魚影を探すが見当たらない。産卵床らしきものも見えないし、当然ペアリングの気配もなし。
魚の気配が感じられない川は、例え水が澄み切っていて川底も大小の石が敷かれた抜群の渓相だとしても、ちょっとアレだね、つまんねー。
川のあるべき姿っていうのは、ひとつに川そのものの環境もあるだろうけど、川が育む別なる生命なんてものも「器(うつわ)」としての川のあり方を知る術だなぁって思ったりするのだ。それが川そのものの生命力のような気がする。
変化に富んだ川にはその表面積に比例して可能性がある。
そういう意味で、魚の姿がちらちら見える川なら、そりゃ頼もしい。
シーズン中散々攻め続けられていても、どっかに魚をかくまい続けられるような、ふところの深さと言うか度量の大きさ・・とかがね。
この時期、見事な渓相の川よりもちょっと荒れたような、田んぼの脇を流れるようなそんな川の方が魚の姿を見れる事が多い。
そんな川で見かける魚は決まってのんびりくつろいでいる感じで泳いでいる。
オフシーズンならではの光景だ。
浮き石の点在するこれまた垂涎ものの流れ。
昼も過ぎた頃、あるプールでライズを発見。やっと見れたかーって、勇んでカメラを取り出しファインダーを覗くと、なにやらやたらちっちゃい。
それでも最大ズームにすると一瞬パーマークが見える。
波間に見え隠れする魚体はズームでは捉えきれずに、写真は撮れなかったが、でもいいや。ちょっとでも魚の姿が見れたし、来シーズンへ向けてのパワー充填もできた。
と、不意に水面を何かが横切り、ライズは消えた。
なんだ、ダックめ・・・。ま、いいけど。
グァグァッ CDC置いてっておくれ!