なんか、前にもこんなことがあった。
夏の、源流釣行でゴギを釣る。その川は夏前にも来ていて、その時は飽きるくらいによく釣れた。
シーズン終盤で悔いの残らない釣りをするためには、そんな川が必要だ。
期待を胸に再びその川へ。ところがどうしたことか、前に来た時にはあれほど釣れたゴギが全く姿を見せない。
行く夏に急かされるかのように、僕たちは上流へ向かう速度を早めた。その僕たちの歩みよりも更に早く、ゴギたちは姿を消していた。
Yは7フィート#4を持ってきていた。ニンフをやる気だ。僕が先行しつつ丁寧にでも焦りながらポイントを探っていった。
倒木とクモの巣に囲まれたスポットになんとかフライを入れた。と、同時にゴギが出た。
「ようやく釣れたじゃん」とYが安堵の言葉を漏らした。
僕もちょっとホッとした。でもこんな小さなゴギ一匹でホッとするなんて冗談じゃない。
ここからだろ、きっと。Yも自分にそう言い聞かせているに違いなかった。
空が近い。太陽も。成層圏もすぐそこだ(^_^;
釣友のT君がこの川に釣りに来た時、ほとんど源流近くまで上がったと言っていた。
その時、両脇の山の峰がかなり低くなって、それは山頂が近いことがわかるくらいだったらしい。
その話しを聞いたこともあり、前回途中までしか釣り上がらなかったし、今回は行けるところまで行こうと僕もYも気構えだけは十分だった。
一匹釣ったあと、また反応が途絶えた。僕は悪い事は考えないようにした。
幾層もの木の葉のシールドが紫外線を受け止める。
石積みを過ぎて流れはそれまでに増して細くなった。しかし川筋の開け具合は変わらなかった。
ただ今まで両脇に密生していた木々が少しまばらになっていることに気が付いた。
もはや僕もYも何の反応のない流れにただフライを落としていくだけになっていた。
そしてゴギの気配は全くなくなってしまった。
どちらともなく立ち止まり、ふうと息をついた。
そのゴギは川ではなく空へ帰っていったのかも知れなかった。
緑のフィルターを通してマイナスイオンのシャワーが降ってくる。
この川には二ヶ月半前にYと入っていた。
その時はサイズは満足できなかったがとにかく数が釣れた。
二ヶ月半は長い。その間に川の状態は良くなるか悪くなるか。
おおかたの予想ではまず悪くなる。それでも前回の時の半分でも釣れればこの時期の釣りとしては良い方なのではないだろうか。
ところが半分どころかやっとの一匹。これから追い上げて前回の半分を釣る。結構きついノルマだ。
まだ流れは続いていた。その流れにフライをキャストしていくことは可能だった。
T君もW氏ももっと先まで釣り上がって行ったのだろうか?
釣り人にとっての源流は釣りが可能な最上流部と思っていい。
でもそのまだ上流から水は流れ続けているのを見ると、もっと先にゴギはいるんじゃないだろうか、という期待を抱いてしまう。
釣り人が諦めたその先にいるゴギは間違いなく空に一番近い。
僕とYはラインを巻き取りながら空へと続く流れを見ていた。
まだ途切れない流れ。水はいったいどこから来るの?
前回来た時の引き返した地点はとうに通り過ぎていた。その場所までの所要時間は前回よりもだいぶ短かった。釣れないから先へ先へと進んでしまうからか。
ドライとニンフを取っ換え引っ換えしていたYだったが、不意に振り返り「ようやく出だした」と言った。
どうやらゴギの反応が続いているようだ。今度という今度こそこの川の良いところまで辿り着いたのか。
それにしてもこの川はかなりの奥深いところまで来ているのに、ずっと川筋が開けている。おかげでちゃんとキャスティングをしての釣りができる。
川によってはボサボサで歩く事もできなかったりするのに、どういう条件でこんな釣りに好都合の川があったりするのだろう。
地形や地質、川の斜面の向き、標高。素人の僕にはよくわからないが、そんないろんな要素が積み重なって成り立つはずだ。
少なくともこの川なら日焼けはなさそうだ。
感じとしてはボサボサ川の方がゴギのエサが多いような気はする。
ところが往々にして釣りやすい場所の方がゴギも居着いていることがある。
もちろん釣りやすければ釣られてしまうことにもつながる。結果抜かれていなくなる、という図式になる。
開けた筋が続くこの川も雨が降っていないだけが釣れない理由ではないことも容易に想像がついた。
ああ、そういえば稜線が近くに来ているかも。
「ようやく出だした」はずだった。だがまたしてもゴギの気配は消えてしまった。
僕もYもまだ片手で足りる数しか釣っていない。
「石積みがある」とYが言った。岩の上に小石が積んである。横には石垣があった。釣友のW氏がこの川はここまで釣り上がる、というその目印だ。
石垣はその上の山道を補強するためのもののように見える。往時のこの辺りのにぎわいを垣間見た気がした。