其ノ二百六十九 放流 Days To Come
流れに、出撃ー。行ってきまーす(^-^)v
僕の不確かな記憶の中で、朝からこれだけ降っているのはたぶん初めてのことだった。
今年は冬の訪れが早い。さらに雨とくればかなりの防寒体勢で行かないと。
予報では昼には上がると言う事だが、放流する時間帯は止みそうにない。
それでも集合場所には頼もしいメンバーがそろっていた。
Yと僕は車を降りた。ひんやりした空気が僕達を取り巻いた。
かなり標高の高い地点にもアマゴを入れる。がんばれよー。
雨は降り続いていた。数ヶ所放流を済ませ、最後に一番標高の高い川に放すことにした。
子供たちも一緒になってアマゴを放す。その経験は果たして彼らの将来になにか影響があるのだろうか。
僕自身には子供の頃にこういうことをした経験はない。
近所の川で鮒釣りをした時に初めて生きた魚を触ったが、命あるものに対してなにか感じ取ったような記憶はない。
釣り上げるのと放流するのとでは感じ方は異なるだろう。
リーダーT君、ぴしっと締めます。
雨に煙る山は黄葉の真っ盛り。
落ち葉も混じる増水の流れへ。うまいこと泳げよ〜。
渓はやや増水し濁っていた。
足元に気をつけつつ、参加者のみんながバケツを運ぶ。
山は紅葉のピークちょっと過ぎくらいで、道路にも川原にも落ち葉が降り積もっていた。
赤茶けた風景の中に、レインウェアとバケツの青がくっきりと浮かび上がる。
僕はその光景をカメラに収め、次に水中を撮ろうと試みたが、さすがの濁りと天候ゆえの光量の少なさに苦戦を強いられた。
今回の放流が最後であるということは何年前かからアナウンスされていた。
25年続いたイベントが終わることになにかしらの感慨はあるものの、それでも集まったメンバーはいつもの年となんら変わらない様子で、アマゴを放流する事に集中していた。
毎年思うのだが、この放流イベントは単にアマゴを川へ放つだけのものではなくなってきている。
久しぶりに仲間と顔を合わし、へたすりゃ毎年このイベントでだけ会う人もいる。そんな人たちの顔を見て言葉を交わす。僕はそのことこそ一番の目的のような気もしている。
その話しの中には今年の釣りの話しも出て、すると自然と来年の釣りはどう攻めるか? ということになる。
そんな話しをすることは次のシーズンに向けての活力となりそうだ。禁漁から解禁までのほぼ中間のこの時期に、ゆるんだ釣りの感覚を締め直す。このイベントはそんな場でもあるんだな、きっと。
この光景も最後。このHPでも何回目の写真だろう。
予報は当たった。なんとか雨は上がり、ランチ会場はどうにかテーブルとイスも置ける状態だった。しかし、日差しはなく標高が高いこともあり、けっこう寒い。
ほかのエリアの人たちも放流を終えていた。
M川氏やW氏、山K氏も集まっていた。彼らは運転の心配がないようにしているから、早速飲み始めている。
どうやらようやくエンジンがかかってきたようだ。
ご苦労様だったわね。でもこれからにも期待してるわよ。
今までに放してきたヤマメやアマゴたちがどんな道筋を辿ったのか。彼らを放したメンバーや子供たちがそれをどう受け止めどんな影響を受けたのか。
僕も含め、先のことはわからない。でもわからないからおもしろい。
来年、ひょっとしたらまた別の形でこんなふうに集まる日が来るのかも知れない。
僕は舞う落ち葉を眺めながらそんなことを想像した。
ランチの準備が整い、まずは熱いうどんをいただいた。体があったまり、ようやくひとごこちついた。いつものメンバーはいつものように食べて飲んで話しやビンゴゲームに興じ始めた。
僕は今年はとにかくあちこちに蕎麦を食べ歩いているので、みんなの蕎麦の情報が集まってくる。M川氏やW氏は神社やたたら製鉄の造詣が深い。しかもそれらの土地土地にはなぜかうまい蕎麦屋もからんでくるから不思議だ。
簡単に考えれば産業が起こり人が集まって集落ができ、さらに発展していろんな農作物や蕎麦も作られるようになる。そこに災害が起き、それに対して神社が作られた。そんな流れが各地にできていったのだろう。
その流れの中には当然食料確保としての釣りも存在した。川があり集落があり産業があり神社もある。そんな繋がりは釣りで山に来ている時もこの放流イベントの時も感じることが多くなってきた。
今回の放流が最後であることに特別触れる訳でもなく、ビンゴケームも進んでいった。それはそれでいい。